黒澤世莉のよく言うこと

待つのが仕事

《登場人物》
黒澤世莉

旅する演出家

松本一歩

聞くひと

積極的に手を加えるのが演出家の仕事?

松本

これもかつて世莉さんが仰った言葉で「なんてかっこいいんだ!」って思った言葉なのですが、「待つのが仕事」という言葉について聞かせてください。

黒澤

僕は旅する演出家、という肩書きです。つまり、演劇の演出家です。もっぱら演劇の演出家は「待つことが仕事だ」と思っています。

松本

一般に「演出・ディレクション」というと、積極的に手を加え、目に見える変化を求めること…というイメージがるのですが、それとは反対のアプローチですね。

黒澤

そう言われてみるとそうですねえ、でも僕みたいな、あんまり自分の作家性を直接出すタイプじゃない演出家もいるんじゃないかなあ。

演劇って、あ、演劇に限らず音楽やダンスも、芸術とは正解がないものだと思っています。セオリーみたいなものはあったとしても、絶対にこうしなければならない!といった決まりごとはない。むしろ、どんどん革新的なあたらしいことを取り入れていってると思うんです。演劇そのものにも、演出にも、たった一つの正解というものはない。

で、正解がないから探すんだけど、演出家だけが探すんじゃなくて、座組のみんなで探したいんですよね。待つのが仕事っていうのは、俳優たちに「やってみてどうだったかな?」て聞きながらつくっていくやり方です。僕はそれが面白いからそうしてる。「こうしろ!」「はい!!」といった作り方が面白いか?と聞かれると、僕は疑問を感じてしまう。面白いですかね、それ?

松本

個人的な経験として、割とそのようなアプローチが多かったり、演劇についてそのような原体験があったりもして、「面白いか・面白くないか」といった判断軸は鈍っている部分はあるかもしれません…。割とそういうものだ、と思ってしまっているというか。

黒澤

ちょっと意地悪な質問でした、ごめんね(笑)もちろん、それで面白い作品が生まれる現場もたくさんあると思う。でも正直にいうと、僕はそれができない、という言い方もできちゃうんですね。自分の中に強固なイメージがあって、仕上げたい空間のイメージがあって、絶対面白いからこうやってくれ!ってオーダーする…僕にはこれができないんです。

僕が見せたいものって抽象的なんですよ。で、その抽象的なものって、簡単に言葉にしちゃうと「俳優の中の熱量が非常に高い状態」なんです。演劇は生命の燃焼である(元ネタは岡潔「数学は生命の燃焼であります」)…と思っているので「俳優がいかに燃焼した状態を創れるか」というのが僕が観客と共有したいものであって、かつ、僕が観たい演劇なんです。

「俳優が燃焼した状態」、もう少し言葉を重ねると、俳優がその場で大きいエネルギーを共有すること、物語を体感して、それを舞台上の共演者と共有し、観客とも十全に共有する状態のことです。

では、どうしたらそれを達成できるか。ここからが「待つのが仕事」という言葉の本質に近づいていきます。

演出家がすべてを命令できるかな

黒澤

僕は、俳優が主体性を持ってその状況を牽引していくこと、が望ましいと思っているのね。

例えば演出家が「ここはロミオとジュリエットが初めて会うシーンで君はジュリエットのことがめちゃくちゃ好き。でも相手は敵の家のお嬢さんで彼女の家の敷地内で会うから見つかったら殺される危険性もあってそのドキドキもある」って言って「はいわかりました!」って、それを一生懸命やろうとする人とつくるやり方がある。

それよりも「この時のロミオさんは何しに来たんですかねぇ?」「そうですねぇ…◯◯や××だからですかねぇ」「じゃあそれって、どれくらい大事なことなの?」「あーもしかしたら自分の命より大事なことかもしれないです」みたいな感じで俳優さんから出てきたものを「じゃあそれをやってみようよ」って観せてもらうこと、の方を、僕はやりたい。

ここまで聞くと「黒澤よ、そう言うけどさ。俳優とは演出家から言われたことをこなすためにいるんだから、お前が『ロミオはジュリエットを死ぬほど愛しているんだからそれをやれ』って言ったら俳優はちゃんとやるだろう」というご意見もあると思うんですよ。でも僕は、あんまり、そう思っていないんです。なぜでしょう?

松本

ええっ、な、なぜでしょう??!

黒澤

なぜ、僕は、演出家がオーダーをしたら俳優がそれをしっかりやってくれる…と思っていないのでしょう?(笑)

松本

…さっき主体性という言葉が出ましたけれど、根本的に、その人個人が自分で考えてやること・何かに気づいて自分で考え出したようなこと…しか信用していないから、でしょうか?

黒澤

あー、だいたいあっている、みたいな感じです。できない理由を簡単にいうと、演出家が全てを命令することは不可能、ということですね。例えばですけど、自分が敵の家に忍び込む…と言っても、昼か夜かで全然違うし、犬の鳴き声がするかしないかでも違うし、さっきまで人が歩いていた足跡があるのかないのかでも違うし、それがそもそも見えるか見えないかでも違ってくると思うんですよ。それを一つ一つ演出家が指示するのはナンセンスだと思うし、時間がかかりすぎる、そして僕はそんなに考えてられない(笑)。

じゃあどうするかというと、俳優さんに自分で一つ一つ考えてきてほしいんですよ。それ、当たり前のことだと僕は思うんです。もちろん、俳優さんにも、それは当たり前のことだと思っていただけると信じています。

演出家が俳優と共有すべきはもっと抽象的な概念だと思っていて。もちろん、この物語全体はどういうところに牽引されているかとか、このシーンはこういう目的だよね、と言ったことは言語で共有します。そこで行われるドラマの要諦がずれていたらすり合わせる必要があると思う。でも、じゃあ実際にそこでどういう演技の密度にするか − 演技の密度を上げていくときには、実際の人間が生活するかのように、その場のすべてのことに反応していく必要があるわけです。ということは、その全ての事象に演出家からのオーダーを待つということは現実的ではない、と。ゆえに、俳優とはあらゆる面で主体的にそのシーンを作り上げないといけない、と、僕は思う。

松本

おおお……。

主体性とは失敗すること

黒澤

ちょっと、話をわかりやすくまとめますね。

演出家が「ああしてこうして」って指示してそれを俳優がやる、ってしていくと(密度が)スカスカになりがちだと思っていて。もちろん、それを聞いて密度を上げてくれる俳優さんがいることも知っているんですけど。それよりは「主体的にやって!」って俳優さんに投げて、やってきてくれたものに対して「そういうことがやりたいなら、こうしたほうが面白くない?」と、創り上げていくのが僕は好きだし、やりやすいと思っています。

例えば、一歩さんがロミオを演じる俳優だとして。このシーンに出てくるすべてのモーメント・瞬間において生きている人間として生き生きと演じてください。それを稽古初日に松本さん、完全にできますか?

松本

で、できないと思います…。

黒澤

できないよね。それは一歩さんがダメな俳優だからじゃなくて、とても一生懸命準備してきても、おそらく自分一人で考えられることには限界がある、ということだと僕は思うんです。
ゆえに、稽古場は失敗するところであり、加えていうなら、一歩さんが「こういうものだ」と思って準備してきたものも、ジュリエット役の人が(一歩さんの)想定と出方が違った場合、それはもう演技プランをポーンと捨てて、その場その時の二人の間にあるものでやった方が良い…失敗してすり合わせて、はじめて二人のシーンになって、生き生きと演じられるわけです。

もちろん、準備はいっぱいしてくるんですよ。それを演出家や他の人とすり合わせたりして「全然違ったね」って言って別のことをやってみたりすることになる、それは「全然違ったね」って捨てるために準備してくるんですよ。
準備って無駄にならなくて、そう考えてきたというプロセス自体が自分の中に積み上がってきてるから。

一歩さんがロミオだとして、ジュリエットに会いにくるのに衛兵が1人2人いるくらいの状態だと思っていたら、演出家から「いやいや一個大隊がぐるぐる回っているくらいの場所で、すごい瞬間に入ってきたーみたいな感じにしてくれ!」って言われたら、「そ、そうか違ったな…」と思うかもしれない。けどそれは衛兵の人数が変わるだけだから「衛兵がいる」を準備してきたことが無駄になるわけじゃない。

みたいな。こういうことをしていると、完成までに時間がかかるんですよね。だって一直線に進んでないから。「正解かどうかわからないけれど自分が正解だと思っているもの」を、出演者全員が持ってきて稽古場で組み合わせるからね。

その中でここはAさんがいいよね、ここはBさんがよいね、AとBを組み合わせたらC案が出てきたからやってみようよ!といことが起きる。こういうつくり方はすごく時間がかかる、でも時間をかけて待てば、必ず良いものが出てくると僕は確信しています。あとは、僕1人のアイディアよりも俳優さんが10人いるなら11人のアイディアでやった方が良くない?だって、11倍じゃん(笑)

松本

おおお。

黒澤

演出家が色々オーダーして作り上げる世界より、俳優が主体性を持ってその場を牽引する世界の方が、僕にとってはスリリングで面白い。
俳優さんが自分で色々と耕してくれる。そしてその実りを待つ…僕は、これが演出家の仕事だと思っています。

待つ、にはコミュニケーションが必要

松本

とはいえ待っていて、アイディアが全然出てこなくてイライラした事はないですか?

黒澤

あるけど…それも含めて、演出家の仕事は責任を取る事だとも思っているので。「このまま待ってると作品の上演に差し支えるな」という時のプランBを用意しておくのも演出家の仕事だと思ってます。ノープランで待つわけじゃないです(笑)

松本

世莉さんが長らく待ちすぎる事で、出演者や他の関係者が怒り始める事象もあると聞いたことがありますが、その辺りはいかがでしょうか。

黒澤

…うん、こまる。でもそれこそ「それをやりたいんだ」ということをコミュニケーションしていくしかないと思うんだよね。他の俳優がもう待てない!って言ったら決めるときもあると思うけど、でも「うーん、僕を信じて待って」って言って数日から1週間待ってもらう。それで出てこなかったら「ごめんなさい」って謝るのも、僕の仕事かな。
責任持って説明するのは大事だよね、焦る気持ちもわかるし。

松本

ちなみに「待つ」ということに関して、リミットとしてはギリギリでどれくらいまでだと考えていらっしゃいますか?もちろん、カンパニーの状況によるのでケースバイケースだとは思いますが…

黒澤

ケースバイケースですね(笑)。何を待っているのか、にもよると思っていて、新しいアイディアみたいなものをギリギリまで待つのはちょっとおかしい気がするよね。
例えば最近は、ブロッキング・見え方はさっさと決めて、そこで内的に起こることを後から決める…という作り方が多いかな。コロナ禍による諸々の影響で稽古時間が短くなってしまっていることが大きく関係しますが。

必ずしも「いついつまでは待つ」とは断言できないですし、僕の中でも待ち方の変遷があるので。単にリスクを増大させる待ち方はみんなを不安にさせると思うから(笑)待つんだけど、出来るだけリスクを減らす…みたいなことを最近は意識していて。だから、少しずつですけど、俳優さんがやりやすい現場にできてるといいなー、と思ってます。

黒澤世莉(くろさわせり)

旅する演出家。2016年までの時間堂主宰。スタニスラフスキーとサンフォードマイズナーを学び、演出家、脚本家、ファシリテーターとして日本全国で活動。公共劇場や国際プロジェクトとの共同制作など外部演出・台本提供も多数あり。「俳優の魅力を活かすシンプルかつ奥深い演劇」を標榜し、俳優と観客の間に生まれ、瞬間瞬間移ろうものを濃密に描き出す。俳優指導者としても新国立劇場演劇研修所、円演劇研究所、ENBUゼミ、芸能事務所などで活動。

黒澤世莉

松本一歩(まつもとかずほ)

たたかう広背筋。時間堂最晩年の『ゾーヤ・ペーリツのアパート』(2016年)で制作助手、解散公演『ローザ』(2016年)にて時間堂劇団員ロングインタビューを務める。俳優、演出、劇団主宰(平泳ぎ本店/HiraoyogiCo.)。

松本一歩