文化をつくりたい
旅する演出家
聞くひと
文化をつくりたがる男
中谷
世莉さん、「文化をつくりたい」ということをこれまでもインタビューなどでちょくちょくおっしゃってるように見受けられるんですけれども、これについてちょっとお伺いしてもいいですか。
黒澤
もちろんです。私が「文化を作りたい」ってよく言ってる人だって話ですよね。
中谷
そうですね。これはいつ頃から意識し始めたんですか?
黒澤
正直あんまり覚えてなくて、自分がそれを言ってる自覚もないんですよね。
中谷
あ、そうなんですか?結構言ってますよ!
黒澤
そうなんですよ。こうやって人から言われて、
「そんなことを 言ったこともあるなぁ せりを」
みたいに、なっているんですねえ…。
中谷
…。
黒澤
ただ、言っている外側のニュアンスは変遷があるけど、たぶん本質的なことはあまり変わってないんじゃないかなあ。
今コロナで大変じゃないですか、世界的にね。そういう時には例えば文化庁とかがいろんな支援策を打ってくれる、みたいなこともある。で、僕はいまは行政に要望書を出したりする活動をしているんだけど、これもいっつも言ってるらしい「文化をつくりたい」って話とつながってると思うんだよね。
で、せっかくだからいまの話からはじめようか。いろんな支援策を弥生ちゃんも見てると思うんだけど、それらの支援策っていい感じ?あるいは課題があるような感じがする??
中谷
課題はありますね、そう私は感じています。でも、大変な状況の中、できる限りの支援策を考え出してくれてありがとうという気持ちもあります。
黒澤
課題があるとしたら、どんなところにあるかなって思ってる?どんな政策でも課題がないことなんてきっとないとは思うんだけど、どんなところに感じてたりする?
中谷
実態にあまり即していないと感じる部分が多いです。真っ当に制度を利用したいと思っている人たちが、もっともっと利用しやすい制度になると良いのになぁ、
と思います。
黒澤
一個だけ、その「実態に即していないこと」について例を挙げてもらうとしたら?
中谷
今度募集されている助成金(ARTS for the Future)に関して言えば、いま緊急事態宣言が出て休業要請が出てるにも関わらず、積極的な公演活動をした団体に助成金を出すって言い切っているところですね。
公演を「やれ」って言ってるのか、「やるな」って言ってるのか、どっちやねんっていう…。 これがもう、困っちゃーう!!って思ってます。
実情を知ってもらうこと
黒澤
そうですよね。まさにいま現在の話でいうと、コロナが流行って、話を演劇の人たちにちょっと絞ると、お芝居を劇場で上演するっていうことを、行政からの”お願い”で中止にしてほしいって言われたりしてたりする、と。
たとえばリハーサルをする場所とかが、自治体からの要請によって完全に使えなくなっていたり、あるいは使えるけど夜は使えない時間が早まっていたりする、みたいなことがあるんだけど。
そういうことについて、 感染症対策をするという面では多分みんなそうした方がいいと思っていますよね。感染症対策なんてどうでもいいなんて思っている人は、基本的にはいない。
ただ、実際お芝居をする予定だったものが出来なくなっちゃったら、それによって経済的な損失を被る人がいっぱいいたりする。
あるいは実際に稽古場が使えなくなったら、その来月の公演とか再来月の公演とかも上演を中止にしないといけなくなる、とか。
例えばだけど、そもそもそういったことを演劇をやっている人以外にはあんまり把握されてなかったりする、っていうことがあると思うんですよね。
僕が大きい課題だと思うのは、例えば文化庁が文化に対してお金を払いますって言って予算をつけてくれると。それが何百億円もあるよっていうことがあったとしても、それが事業や公演とか、何かを新たに企画することに対する補助だということなんですよね。
でも緊急の時に、今本当に傷ついている人たちに対してそういう形での支援を届けるのって、結構難しい。
それはお金の面もそうだし、心も傷ついているんだと思うんですが。飲食店の方たちもそうですよね、一生懸命商売をされてきたのに、お酒を出して感染が広がってるような言われ方をして悲しくなっている、みたいなこともあると。
中谷
飲食店はほんとに大変ですよね。
黒澤
「飲食店も色々大変だから、なにか新しいことやったらお金あげるよ」って言われたら変な感じしますよね?休業したらシンプルにそこに対して補償を出す、みたいなことが当たり前だと思うんですよね。
働かないとお金が稼げなくて、死んじゃうから…。そうしなければ、それにかかる雇用も失われてしまうから。
中谷
ふむふむ。
黒澤
現状、国からの文化芸術への支援というのはそういうレベルのズレ、というのがある。
そして単純にそういう状況が他の業種と比べて伝わりづらいと思うんですよね。
話を戻しましょう。僕が一番大きいズレだと思っているのは、事業に対する助成、新しく何かをしろっていうことです。今金銭的に行政からのお願いとかに協力して、負担が非常に大きくなっているということに対して、「単純に補償すること」が理にかなっている。
緊急事態宣言が出ているのに、「新しい積極的な取り組みにお金をあげるよ」って言われるのは、弥生ちゃんも言っていたけど「本当にどうしたらいいのかわからない」という気持ちになる。
いま今の話だけじゃなくて、日本の演劇に対する助成って、公演をするならそれに対してお金をあげますよ、っていう形で、しかも公演の全額とかじゃなくて、公演全体の予算の一部に対して補填するような形です。
そういう風に企画に対する助成みたいなことも、平時だったらまだありかもしれないけれども、こういう非常時にその方法しか取れないっていうことはちょっと問題がある、と。
文化政策を決定する立場の方々はがんばってらっしゃると思うけれど、今話したような事を、たぶん一から丁寧に伝えていかないと、そもそもその文化が置かれている状況を把握しづらいだろうから、なかなか状況がきちんと伝わらない。
たとえばひとつの公演のためには稽古を1ヶ月から2ヶ月やるから、そのための稽古場が開かなくなったら予定されていた来月、再来月の公演もできなくなることとか。
そもそもそういうことを知っている人が文化庁の中にもいないし、市民の中にもそうしたことを御存じない方の方が多いんですよね。
そうなると、「助けて欲しい」とか「助けてもらうために動く」みたいなこと以前に、そもそも演劇っていうものがあって、そういう営みがあるということを、まず知って頂くということがとても大事だと思ってます。いま
や、 で活動しているのは、そんな感じのことですねえ。街/町に劇場があるということ
中谷
なるほど。世莉さんが文化行政と関わり始めたのはコロナ以降なんですよね? それ以前から文化文化言ってましたけど、そのときはどんな意味だったんですか?
黒澤
文化文化言ってたんだ。えーっと、どうだったかな。
演劇をつくって、上演して、観て、つくり手と観客が関わることができる、そんな場所でした。
スタジオってスタジアムみたいな機能があると思うんですよ。
僕はサッカーがすごい好きだから、地域のサッカースタジアムがあって、地域のチームがあったらすごく応援すると思うんです。
例えば鳥栖や甲府に引っ越したとして、サガン鳥栖やヴァンフォーレ甲府みたいな地域のクラブチームがあれば誇りを持ってめちゃくちゃ応援するタイプなんです。
そういう風に地域のスポーツを応援するとか、あるいは全然スポーツには興味はなくて、たとえば地域の野球チームだって応援しないけれど、でも野球を見に来る人がうちのお店にお酒飲みに来るから野球があって良かったな、みたいな話もあると思うんです。
つまり演劇をする場所があるっていう事によって、演劇を観なくても、演劇を観に来る人が近所の店で何かを買うとか、お花屋さんでお花を買うとか、そういうことは起こりうるんですよね。
劇場を起点に人の流れが生まれて、街が活発になるということもきっとある、と。
演劇だけじゃなくて、文化芸術っていうものがあることによって、その街というものがすこし豊かになったり、他の町にはない個性を持ったりするということはあると思うんです。
もちろんそれは演劇に限った話ではないけれど、演劇があることによって、劇場があることによってそこに新しい人の流れが生まれたり、今までいた人と新しくやって来た人との交流が生まれたり、今までにはなかった生活の中での豊かさを演劇を通じて何かしら感じるチャンスというのが生まれると思うんです。
たとえば新しい発見でもいいし、単にちょっと今までとは違うコミュニティができることでもいい。
一万人の町に演劇が来た時に、一万人が救われるということはないかもしれない。けど、その中で居場所がなくて困っていたひとりーたとえば15歳の時の自分みたいなやつーを助けることはきっとできると思うんです。
文化があるってことは、きっとその孤独な一人を支えられる「なにか」があるっていうことだと思うんです。それは演劇かもしれないし、ジャズかもしれないし、書道かもしれないし、ハンドボールかもしれない。
演劇だけじゃなくて文化芸術とかスポーツというものが町にあることによって、単に働いて家族と過ごすだけじゃないもう一つ別の営みが手に入るのではないかなと思います。
十色庵もそういうことを目指していたわけなのですが、わたしが粘りきれなかったですね。もっと地道に10年くらいコツコツ積み上げれば良かったのかも知れません。ただ当時はその余力がなかったですねえ。
街のもうひとつの選択肢として
黒澤
美術館へ行ったり、スポーツ観戦したり、スポーツ教室へ行ったりとか。そういう日々の刺激になることの選択肢のひとつに、演劇とか博物館とか、音楽のコンサートがあるということってやっぱりとても大切なことだと思うし、いろんな刺激を受けることで子供というのは豊かな情操が育つんだと思うんですよね。
「文化をつくる」というのは、たぶんそういうことだと思うんです。
いきなり文化で儲かりますとか、アーティストがお金が欲しい、みたいなことではなくて、文化があることによって、一見無駄なものに見えるけど、でも生活が豊かになる。いらないもののような気がするけど、それによって居場所ができる人や救われる人がいるとか。
そういうことがその町とか地域のプライドになったりすると思うので。ヨーロッパとかだと、スポーツでも演劇でも割とそういう、街にとっての誇りとなりうるような位置づけですよね。
そういう良い関係ー文化やアートと、町や市民とのいい関係ーっていうのが作れるといいなーってことはよく思ってるし、そういう関係がつくれると、弥生ちゃんが言ってくれたみたいな文化庁とのミスマッチ、実情にそぐわない助成みたいなものも、減らしていけるんじゃないかな、と考えています。
中谷
なるほど。世莉さんは演劇を専門とされていますけれども、演劇にかかわらず今のお話にあったように、美術だったり音楽だったり、もしかしたらスポーツかもしれないし、そういう「なくてもいいかもしれないけど、あるとちょっと心や人生が豊かになるんじゃないかな」と思えそうなものがある町がいいな、という風に考えていらっしゃる。
そして街にそういう場所を増やすために、ひろく文化をつくる必要があると考えてらっしゃる、ということでしょうか。
黒澤
十色庵みたいな、文化に関わるための場所づくりはできるかなと思っています。その場所と人の周りにまたいろんな人とか物とかが集まってきて、それが文化として根付いていく、みたいなイメージです。
「100年後の森をつくるために、いま木を植える」みたいなことができるといいかなとは思っています。
中谷
場所というのはplaceだけではなく、そこにいる人も含むということですよね。例えば先ほど地域のクラブチームという例えを出してらっしゃいましたが、世莉さんご自身はどこか特定の地域で僕は演劇を根付かせるんだ!とか、文化芸術活動をやるんだ!!みたいな、ひとつの場所にこだわった活動は特にされてないのかなーって思うんです。
肩書も「旅する演出家」ですし、場所にはこだわっていないイメージがあったんですけれども、そのあたりはどうお考えですか。
黒澤
もしも、どこかの地域の芸術劇場の芸術監督をやりませんかって言われたら二つ返事で引き受けますよ!そんなの、興味あるもん…。
中谷
うか、そのために日本全国で文化をつくっていく、ということを今はされているということですか?「日本全国で文化をつくるぜ、俺は!」という気持ち、ということですか?
黒澤
文化をつくりたいからあちこち行っているというよりは、あちこち行きたいからあちこち行き、結果としてそれが文化になったらいいなって思ってる、っていう因果関係かなぁ…。
だって「文化を作ってやるぜ!!!」って言って移動してきたらなんかおこがましいじゃん、そんなのさ…。
中谷
たしかに(笑)。ゴリゴリすぎて怖いですね。
遊びながら、種を運ぶ
黒澤
僕はただ移動するのが好きなんですけど、移動した先でね、なにかこう、豊かなことが生まれたりしたらとっても素敵だなぁと思うけれども、それは別に僕の勝手な願望であって。
その先に草が生えて花が咲いたら嬉しいけれども、咲くか咲かないかは、その土地とか気候とかにもよると思うので、って感じです。
中谷
種を蒔き蒔きしているわけですね。
黒澤
うん、そうだねぇ…、もっとやっぱり渡り鳥みたいな感じじゃないですか?
種を蒔こうと思って移動しているんじゃなくて、渡り鳥は木の実を食べて、糞をしたらそれがいろんなところでお花になって咲くよ、みたいなことだと思うので(笑)。
僕は楽しく演劇をやっているだけですが、それが結果として地域にとって何か良いことになったら嬉しいなと思いますけれども。
いまは「文化をつくっていくぜ!!!」みたいな気持ちではなく、もうちょっと純粋に楽しいな、とか、おもしろいな、っていう気持ちでやっていますよ。
中谷
世莉さんはご自身が演劇活動、文化に携わるようになってからもう20数年経ってらっしゃると思うんですけれども、どうですか?
これまでやってきてみて、自分が演劇を始めた頃よりも、「文化をつくるぜ!!!」みたいなゴリゴリした気持ちではないにせよ、文化は社会全体として日本の中で出来つつあるなという気はしますか?それとも全然変わってないなー、という感じですか?
黒澤
こういう事柄はちゃんと数字を採った方がいいと思うから、あんまり個人的な感覚で喋らない方がいいかなっていう気はするんだけどね。
ただ、日本の近代劇の運動っていうものが島村抱月先輩とか小山内薫先輩から始まってるとしたらさ、まあそれからだいたい120-140年ぐらい経っていると思うんだけど、そういう時期にいきなりバンバンバーン!って「やっぱり文化、大事だよね!」という風にみんながなるっていう事は少ないだろうなって思っていて。
最近だと豊岡市で平田オリザ先輩がやっている芸術文化観光専門職大学とか、「芸術の市」みたいな進め方に対してかなり積極的にゴリゴリ政策を進められていた市長さんが、「ちょっとそんなにゴリゴリやらなくても…」という市長さんに市長選挙で負けたっていうことがありましたけども。
でもああいうことって必要なプロセスだとも思うんですよね。別にオリザ先輩だってそんなに簡単に上手く行くとも思ってなかったと思いますし。その中で市民とコミュニケーションを取りながら、十年後二十年後に豊岡がどうなってるのかっていうことが大事なのであって。
今、「文化とか芸術とかいらないよね」とか「税金投入しなくてよくね?」っていう話が出たとして、そういうところと僕らアーティストはしっかり対話をして丁寧に向かい合っていく。100年後のアーティストが今よりも活動しやすくなってるといいな。それはアーティストだけじゃなくて、すべての市民に対して還元できる価値になってるといいな、っていう風に思うんです。
この20年でなにかが良くなったり悪くなったりっていうことも、数字を見ればあるし語れるとは思うんだけど、いずれにせよ僕たちがやる事ってあんまり変わらなくて。
「演劇が必要だよね」って思ってる人にちゃんと演劇を提供して、「演劇はいらないんじゃないですか?」っていう人とは「そういうお考えなんですね。でもこういうこともあるんですよ。」って、地道に対話していくしかないし、それをコツコツあと100年続けていけるように、僕らも頑張っていきましょう、と思っています。
中谷
私たちの日々の営みも、長い「文化をつくる」という歴史の中のマイルストーンの一つであるということですね。
黒澤
バトンを、運ぶ人です!
中谷
一生懸命真面目にやって、未来にバトンを運びましょう!ありがとうございました!