怪我しないさせない
旅する演出家
聞くひと
怪我は不可逆なもの
中谷
お久しぶりのインタビューでございます。世莉さんに今日お伺いしたいのが、黒澤世莉がよく言うことの中の「怪我しないさせない」というワードについてです。
黒澤
めっちゃ重要なやつですね。
中谷
めっちゃ重要ですか。私が世莉さんと一緒に演劇づくりをしていて、この「怪我しないさせない」っていう言葉が出てくるのは、たとえばいろんな演劇的なエクササイズをする前だったりします。特に
を使った、 というエクササイズをする前に言われるなと思っていて。もしくは毎回じゃないけど、シーン稽古をする前にも「もう1回思い出してね!(指パッチン!)」みたいな感じでおっしゃるかなと思います。世莉さんは、この「怪我しないさせない」という言葉をどのような意図でおっしゃるのでしょうか。
黒澤
さっきも申し上げたんですけれど、これはめちゃくちゃ重要なことなんですよね。なぜめちゃくちゃ重要なのかと言いますと、怪我って不可逆なんですよね。戻らないじゃないですか。
転んで擦りむいた、ぐらいのことだったらアザができてそのあと治りますけども、たとえば誰かに暴力を振るって腕が折れてしまったっていうことになると、もちろん骨もくっつくんですけど、場合によっては後遺症が残ったりする可能性がありますよね。
それに暴力となると法律的にも問題ですし、医学的にも問題ですし、人間関係としても非常に大きい問題を残してしまう可能性があります。しかもそれは当事者同士だけではなくて、その場にいた全員に対してそういう影響がありますよね。
だから、当たり前ですけど怪我をさせたり自分が怪我をしてしまうような行為はしてはいけない、ということがあります。そういうことを言うと「そんなこと当たり前じゃないか」ってなるんですけどもね。
私が皆さんにお伝えしている
という演技のやり方の基礎練習であるリピテーションというエクササイズの時には、「自分の体に生まれた衝動はすべて相手に伝えてほしい」という方針があります。中谷
はい、そうですね。自分の中に生まれた気持ち、たとえば「楽しい!」と思ったらそのまま「楽しい!」って伝えるし、「悲しい」と思ったらそのまま「悲しい」って伝える。すごくざっくりですけれど。
関係ーエネルギーのサイクルの演劇
黒澤
はい、ありがとうございます。そうなんです。マイズナー・テクニックはよく”自己開示”とか”感情解放”だって勘違いされるんです。けど本質的にはそういうことではなく、関係性を結ぶ演技術のことだと認識しているんです。
この場合の関係性というのは、たとえば親と子、とか、上司と部下、みたいな権力勾配のあるような関係性という意味ではありません。人間としてお互いにいま持っているエネルギーをシンプルに受け取り、交換し合うっていう状態が、この場合の関係性です。
その時の要点は、自分の中に生まれたエネルギーを相手に全部渡すことです。そして相手はあなたのエネルギーを受け取ることで、新鮮なエネルギーが生まれ、それをまた自分に返してくれる。このサイクルが回っている状態というのが、マイズナーテクニックでいうところの演技の基礎になります。これはちょっとかいつまんで説明していますけどもね。
中谷
はい、はい。
黒澤
じゃあそのマイズナー・テクニックと「怪我しないさせない」ということとがどう繋がるのか、という話なんですけど、演劇や俳優業をやったことがない方にはすこし分かりにくいかもしれませんが…私たちは他人と関わっているときに、かなりおおきいエネルギーを感じることがあるんですよね。
リピテーションってそんなに長時間やるわけじゃないですけど、そのエクササイズの中ですごく楽しくなったり、直後にすごく悲しくなった、っていうようなこともあります。
それは関係の中で生まれることもあれば、リピテーションとは別に自分の中のエネルギーを喚起するようなエクササイズをしてからやるから、そういう大きなエネルギーの起伏を感じてリピテーションに入るってこともあるんです。その芽生えたものをまず相手に渡すっていうことを練習したい、という時に、たとえばめちゃくちゃ怒ってたらめちゃくちゃ怒ってほしいんですよ、相手に。
中谷
そうですね。
黒澤
悲しい時は「悲しい」ってやってほしいし、イライラしてる時には「イライラしてる!」ってやってほしいし。もちろん「幸せ!」とか「楽しい!」とか「大好き!」みたいなこともやってほしいですけど、感情自体に貴賎はないわけです。
感情自体がネガティブなものであってもポジティブなものであっても、そこに価値の重い/軽いはないということが、マイズナー・テクニックの基本的な考え方なんです。なぜならば、役柄っていうのはあらゆる感情を使うからです。
たとえば「楽しい!」っていう感情しかない『ハムレット』だったらだいぶシュールになるじゃないですか。「いや生きるべきか死ぬべきか!これ超問題だよねー!!」みたいな超ポジティブな『ハムレット』って、ちょっとシュールですよね。
もちろんそういうアバンギャルドな演出があってもいいけれども、いわゆるベーシックな『ハムレット』ではなくなってしまいますよね。うじうじしたり、葛藤したり、誰かを憎んだりとか、後悔したりとか、傷ついたりとか、そういった感情が『ハムレット』という作品にとってはすごく大事なんだと思うんです。
やはり俳優というのは、ハッピーなもの、ポジティブなものだけではなくて、アンハッピーなものとか、ネガティブなものも表現できるようにしていきたいわけです。よく俳優のからだを「楽器」っていう言い方をするんですけど、俳優にとって自分の楽器は色んな音が鳴るような状態にしたい訳です。
中でも怒りとかっていう感情は、当たり前だけど暴力衝動と繋がっているんですよね。「相手を傷つけたい!」とか、そのからだにあるものをなんとかどうにかして、減らすこと無くシンプルに表現したい。でも、そこで怒りと暴力が結びついてその場で相手を殴ってしまう、っていうことはいけないんですよ。
(そういう暴力的なことを)してはいけないということは非常に大事で、マイズナー・テクニックのエクササイズをする時にはここをほんとに口を酸っぱくして言わないといけないんです。実際にこの練習をしたことある方はわかると思うんですけど、俳優自身やっている最中は結構自分の作業に集中してしまうので、おおきい感情があるとその感情のことだけしか捉えられなくなって、原則的なルールとかを持ち続けるのは、割と難しくなったりするんです。
だからエクササイズの最中にはすごく口を酸っぱくして伝える、っていうことになりますね。
中谷
自分の中にある感情は、相手に素直に伝える。というか、自分の体から出すということが、まずリピテーションの基本ということですよね。
黒澤
そうです。
中谷
ただ「嬉しい」とか「楽しい」とか、そういうポジティブな気持ちは一般的に表に出しやすいけれども、「悲しい」とか「腹が立つ」とか、ネガティブな感情というのは、普段の生活からしても結構押し込めている人が多いので、出しづらいということがある。
それでもリピテーションをやる上では、そういうポジティブな感情だけではなくネガティブな感情も自分が感じた通り素直に自分の体から出すようにしたい。そしてそれを「やり取りしている相手に伝える」ということを目的とした練習なので、ネガティブな感情を出さなければいけないけれど、ネガティブな感情をそのまま、アンコントローラブル(制御不能)な形で相手にぶつけてしまうと、やはりそれは相手を怪我をさせてしまう可能性が出てくる。もしくは自分が怪我してしまう可能性も出てくる、と。
「それはこのエクササイズにとって望ましくないんだよ」、ということを絶えず何度も伝えないと、エクササイズに夢中になっている人はとっさの時にそれが判断しづらくなってしまうので、とても危険な部分もある。
だからきちんとその危険性について伝え、その場のルールを伝えないといけないよね、という理解で合っていますか?
黒澤
100点満点です!100点満点のところに、さらに二点補足すると、まず一点はさっきご自身でも中谷さん仰っていましたけれど、出しにくい感情がネガティブなものとは限らない、というのは本当にあるんです。
人によっては「自分が幸せになってはいけない!」と思っている人もいたりします。これまでの自分の人生の中で自分に制限をかけるとか、「バインドをかける」という言い方をしますけど、自分自身に対して何を抑圧しているのかは結構人によって違うので、そこはあんまり予想をしないで、「私はネガティブなもの、出しにくいのかしら…」とかっていう風に決めつけないで進められるといいのかなって思っています。
この「決めない」とか「予想しない」ということは、すごく大切なポイントで、毎回冷静に自分のからだと出会えるといいなって思っています。ということがまず一点です。
”最低限の制限”をあらかじめ定める
黒澤
もう一点が、もちろん参加する人たちに対して「怪我しないさせない」っていうことを伝えて共有することがそもそも当たり前だし大事なことなんですけれども、一方で、安全な場所でしっかりとてらいなく自分のエネルギーを表現できるようにしておきたいんですよね。
なので訓練の時に「怪我しないさせない」ということは最低限の制限、ルールとしてあるとして、逆に言えばそれ以外のことはすべて表現する!って決めてその場に臨んでほしいということが、とても大切なポイントになります。
中谷
なるほど!ええっと、世莉さんのワークショップに出たことのある人はもしかしたらピンと来るかもしれないんですけれど、「ピロー先輩」という方がいらっしゃいまして。
黒澤
いらっしゃいますね、ピロー先輩。大切な演劇のメンバーです。
中谷
ピロー、ということでもの自体はクッション、枕だったりするんですけれど、世莉さんの現場でリピテーションをするときに、もし「怒り」のような激しい衝動を覚えた時に、相手を直接攻撃するのではなく、このピロー先輩を足元あたりに投げつける、ということが推奨されるんです。
あ、もしかしたら床にピロー先輩を叩きつける方が望ましいのかもしれないんですけれども。まあ最悪相手に当たってしまっても、枕やクッションだったら怪我をする可能性は低いですからね。それよりも、その時感じているその衝動をきちんと発散した方が良いのだ、という前提で、ピロー先輩が稽古場に置かれているという理解で合っていますか?
エネルギーを相手に伝える、表現する
黒澤
100点満点ですね!一個だけ僕がこだわってる表現のことについて言うとすると、「発散」っていう言葉を使うと空間に雲散霧消していくようなイメージがあるような気がするんです。でもマイズナー・テクニックにおけるエネルギーっていうのは、”Acting is action.”というキーワードがあるんですけど、「アクション=行動する」といった時に、その行動とはなにかと言ったら「自分の中のエネルギーやセンセーションを相手に伝える」というところが大切だと思うんですよね。”Acting is action.”。大事なことなので2回言いました。行動に繋げずに感情ばかり追うのは意味がありません。
なのでエネルギーの「発散」というよりは、むしろエネルギーを「表現する」とか「伝達する」という言葉の方が僕にとってはしっくりくるので、そういう言葉を選ぶことが多いですかね。
中谷
ふむふむ。ところで、私は世莉さん以外の方が指導するマイズナー・テクニックもしくはリピテーションの現場に行ったことがないので、他の現場でリピテーションという言葉を使って、エクササイズをするにはどうしてるのかっていうのを知らないんです。
たとえばそうしたピロー先輩のようなものを使って強い衝動を表現するための対策をするというのは、世莉さんのオリジナルなんですか?それともマイズナー・テクニックにおけるリピテーションを行う現場では、何かしらピロー先輩に類するものが用意されるという伝統や教えがあるものなんですか。
黒澤
伝統、があるかどうかは分かりません!
でもやっぱりもともと僕が習った時にも
がピロー先輩を使っていて、僕もエクササイズの時に使うようになった、という経緯があります。おそらく柚木さんは柚木さんの師匠のキャリー・ジベッツさんからピロー先輩を受け取ったんじゃないかと思います。キャリーはネイバーフッド・プレイハウスの人だから、ネイバーフッドでそうしたものを使っていたのかもしれません。でも、使っていないかも知れない。僕も他のマイズナー・テクニックを使用されてる方の現場をすごくたくさん見ているわけではないので、こまかいところまでは正直わからないですが…。相手を傷つけること以外のブレーキをなるべく少なくする
黒澤
「怪我をしないさせない」ということに関して、自分や空間の安全を担保するっていうのはもちろん絶対に必要なことで、エッセンシャルかつ最低限必要なことです。その上でそこが俳優の訓練の場であり、その俳優の訓練をより充実したものにしたいっていう風に考えた時に、自分の中でのセルフコントロールとかブレーキというものをできるだけ少ない状態でやった方がいいと僕は思ってるんです。
僕たちは日常的に僕たち自身に対してものすごく多くの制限をかけている。それは意識的なものもあるし、無意識的なものもある。すごく辛いことがあったとしても、「これぐらいで泣いてはいけないんだ」みたいなことがそれぞれの人の中で日常的に起こっていたりするんですが、エクササイズの時には「あ、この制限をすべてとっぱらってもいいんだ!相手を怪我させること以外なら何をしてもいいんだ!」っていう風に思ってもらいたいんですよね。
この肚落ちってやっぱりとっても時間がかかるんです。それは「この場ではほんとうに表現しても許容されるんだろうか」とか「こんなエネルギーを持ってしまう自分は、人間としてよくないんじゃないだろうか」とかいろんなことを考えてしまうからです。やっぱりそういうことから自由になって、自分自身の俳優としての成長にフォーカスしてほしいなって強く思うんです。
そのためにも「怪我をしないさせない」という最低限のルールがすごく大事だし、たとえ相手を傷つけたい!っていう衝動とか、そういうネガティブな感情があったとしてもそれもすべてその場でありのままに受け入れて「我々は人間としてそういう感情や衝動を感じるものだ!」という前提に立って、その代わりピロー先輩を通じてそういう衝動をしっかりと行動として伝えるっていうこともしてほしいんです。それで万が一そこで相手を直接殴りそうになったりしたら、僕とかアシスタントが必死でその人をガッと止めるので。
「自分がどんなエネルギーを感じ取ってもそれを表現していいんだ」っていう、その場に対する信頼を持っていただけるようにしたいなっていう風に思っているんです。
繰り返しにはなってしまうんですけど「怪我しないさせない」っていうのは、自分とか相手を怪我させないということは当たり前だけれど、俳優自身がしっかり自分の中にある感情とか、相手の中にあるエネルギーとか、そういうものを表現したりされたりするっていうことへの安心感や信頼感を持つためにも大切なルールなんです。
やりたくないことはやらなくていい
中谷
「怪我しないさせない」というワードからはちょっと離れるかもしれないのですが、「やりたくないことはやらなくていい」ということも世莉さんはよくおっしゃっているなというイメージがあるんです。
これは、お互いが感じていることを相手に渡すときに、だからといって相手の要求になんでも応えたり全部受け止める必要は全然なくて、自分がやりたくなければ相手と一緒になってやらなくてもいいし、自分が「それは嫌だ」と思ったら振りほどいて、離れてもいい、ということですよね。
自分はストレートに自分の中にある感情やエネルギーを相手に伝えるけれども、相手から伝わってきたものをそのまますべて受け止める必要は全然ない、というのは、セットになることのような感じがしました。
黒澤
そうですね。それについては二つ伝えられることがあるかなと思っています。一つは、いま弥生さんが言ってくれたみたいに、エクササイズではお互いがやりたいことをやるわけですよね。やりたいことって、別に一緒じゃないから。
たとえばAさんとBさんがリピテーションをしているとして、Aさんは「Bさんに抱きつきたい!」という風に思ったとしても、Bさんの側では「絶対やだ、ムカつく!怖い!」ということになることもあるわけです。一方の中に相手に対して「好き!抱きつきたい!」みたいな感情や衝動があったときに、必ずしもそれを受け入れることがリピテーションにおけるコミュニケーションではなくて、Bさんの中にあるその「やめてほしい!怖い!」ということを表現してもらうことがリピテーションなんです。
だからお互いに俳優として、その場で感じたものをシンプルに表現しようというのは、ごく単純に、自分がやりたいことをやる、ということです。そして自分がやりたくないことは拒否するということも当然の権利としてある、と。
ただ相手からそれを言われた時に、Aさんがそのことをしっかり受け止めた上で「そっか、相手はいま怖いんだ。でもすごく近づきたいな」と思えば、その上でお互いがそこで色々なやり取りをすれば良い。それはもちろん感情的な意味で負荷がかかる状態になったりはしますよね。近づきたいのに近づけなかったらすごく苦しくなるかもしれないし、近くに来てほしくない人に近づかれたら、とても怖くなるかもしれない。
でもそうしてある程度の感情的な負荷があることが、俳優としてエネルギーを表現するという時に、様々なエネルギーを感じ取ってそれを相手に出力するという訓練になるので、そこは俳優として勇気をもって取り組んでもらえるように僕らができるだけ安全な場、信頼できる場というものをつくりたいと思っている、ということが一つあります。
自分できめる。あらゆる成長は自分のペースがある。
黒澤
もう一つが、先ほど「やりたくないことはやらなくていい」という言葉が出ましたけども、それってこれまで話してきたようなエクササイズの、もうちょっと前段階の話でもあると思うんです。その場に対して信頼感があって、参加している人たちもしっかりと自分の中にあるものを表現しよう、ということに対するある程度の覚悟というか決意というか、「私はそれに取り組みたい!」っていうモチベーションがある、という前提が揃っているのならば、やればいいと思うんです。
ただそもそも、最初にマイズナー ・テクニックに触れた時からいきなり自分の感じたエネルギーを全部表現しよう、ということへのモチベーションを持つことって、そこそこハードルが高いと僕は思っているんです。人前でいきなりほんとに怒って、ほんとに泣いたりすることって、周りの目も気になるじゃないですか。
多くの人間にとってそうして周りの目が気になるというのは普通のことだから、それもやりたくなかったらやらなくてもいいと思うんですよ。「まだ私はそんなに自分のことを人前でいっぱい見せたりやりたくないわ」って思っていたら、やらなければいいんです。自分で選んでその場へ来たのだとしたって、無理やりやらされるのは怖いじゃないですか。だから、最初にまず自分でやりたい量を決めればいいんですよね。
とはいえ最初に実際自分がどこまでやれるんだろう、ということはわからないから、そういう時には一旦やってみて、その上でいろいろ感じることがあると思うんです。たとえば「いまめっちゃ恥ずかしいと思ったけど、恥ずかしいなんていう感情を人前で出すのはダメだ!死んでしまう!」みたいなことがあったら、やらなければいいんです。
「恥ずかしい、私はまだ無理だ!」って思ったらそこではやめればいいし、あらゆる成長というものは自分のペースがあるから自分で選べばいいと思うんです。他の指導者の方がどう考えるかはわからないですが、僕は俳優に自分でやるかやらないかを選んでほしいんです。その上で僕の場に来ていただいたのなら、「なにか感じたんですか。じゃあおやりなさい。」って言うんですよ。そのように促します。なぜならばそれが俳優の成長に資すると思っているからです。
でも、最終的にそれをやるかやらないかの選択というのは自分が持っているということを、俳優の皆さんには深く理解してほしいんです。やりたくないことはやらなくていいし、「なんかちょっと今日はつらい」と思ったら帰ったっていいんですよ。別にそれに対して僕はどうこう思わないです。「あ、今日は帰ったんだな」っていうその事実がわかるだけで、「次来るかな?ま、来たらまたちゃんと迎えよう」と思うぐらいなんです。
なのでもちろん、リピテーションのエクササイズの中で僕が言う「やりたくないことはやらなくていい」っていうことは、もともとの意味ではあるけど、一方でその演劇の練習自体についても、一人ひとりの俳優にとって「ほんとうに自分の準備ができるまでは、そんなに色々やらなくてもいいんじゃない?」という風に僕は思っています。
中谷
なるほど!一つ補足をしたいのですが。いま世莉さんが話した中で、「やりたくなかったら帰ればいい」「帰ったっていいよ!それはそれで、やりたくなかったなって思うだけだから」と仰ったんですが、「いや、そんなこと言ったって、現場から帰っちゃったらもう次の日現場に行かれないわ!」と思われる方もいらっしゃると思うんです。
でもこれはほんとうにそうで、世莉さんの現場でほんとに稽古中に帰った人がいるんですよ。
黒澤
(笑)。
中谷
でもその人はもちろん次の稽古の時に「この間はこの間で帰ったけれども、でも今日はやります」という風に戻ってきた、ということがあったんです。なので「帰りたかったら帰ってもいい」というのは、嘘とか世莉さんが自分をよく見せようと思って言っている言葉ではなくて、あくまで事実として言っている言葉だなと思います。
黒澤
ありがとうございます。僕は完全にそのエピソードを忘れてたから、それが誰だったかさえ思い出せない…。それが僕にとっては普通なんですよね。もっと自由に振る舞っても、現場は崩壊しないんじゃないかなー、むしろのびのびしていいものづくりに繋がるのでは?と思います。
ほんとにいろんな俳優さんがいるから、たとえば「厳しく管理されたい!」っていう人は厳しく管理されるタイプの指導者のところに行けばいいと思うし、選択肢があるということが大事ですよね。そしてそれぞれの場がどんな場なのか、という情報はある程度開示されてる方がいいと思っています。だから僕の場に「怪我しないさせない」というルールがあるということは発信した方がいいだろうと思います。
最近いろんなところで話題になっているハラスメントの問題についても、ハラスメントを防止するためのガイドラインとかそういうものがあるんだったら、ちゃんと公表した方がいいんだろうなということは思います。それがあることによって、僕のクラスに来る/来ないは別として、「あ、そういうクラスもあるんだ。」って俳優にとって事前に明確にわかるということは、これからの演劇人にとって、すこし気が楽になる材料というか、すこしは絶望感を和らげることもできるんじゃないかなぁ、ということは思いますね。
中谷
ありがとうございました!
(2022/5/17収録)