黒澤世莉のよく言うこと

仲良くすることは
コミュニケーション
ではない

《登場人物》
黒澤世莉

旅する演出家

中谷弥生

聞くひと

演劇をするとコミュニケーションがうまくなる?

中谷

世莉さんが、過去の何かのインタビューで「仲良くすることはコミュニケーションではない」とコメントされているのを読んだことがあります。これはどういう場面で、どういう意味で使われた言葉なんでしょうか。

黒澤

これは「死守せよ、だが軽やかに手放せ」みたいに稽古場でしょっちゅう言っている言葉ではないんですけれどもね。

「演劇を通じたコミュニケーション教育」ということが演劇界隈や教育界隈で話されることがありますよね。

中谷

はい。

黒澤

一般に演劇というものが、子供たちや大人のコミュニケーションに対して良い効果や良い影響があるっていう風に言われてるじゃないですか。

中谷

はい。

黒澤

信じられます?

中谷

演劇に携わる人々と、「演劇と通じたコミュニケーションによって良い効果・影響を体感したことがある方」の間では、共有している見解だと思います。ただ、広く一般に…という意味では、あまり認知も浸透もしていないのが現実かなと、正直感じています。

(コミュニケーション能力に対して)演劇にその効果があるかどうかについて、もちろん、一定の効果はあると思っています。でも実際にそうした授業をやっている身としては「演劇をやるだけでどうにかなる」といった単純なものではない、と感じますね。

黒澤

そうですね。科学的に演劇を通じてコミュニケーション力や情操教育に対して効果があるっていうエビデンス自体はあるんですよね。研究もされているし、それ自体を疑わなくてもいいとは思うんです。

ちょっと意地悪な質問をすると、演劇をやっている人たち自身はコミュニケーション能力が高いと思いますか?

中谷

…あんまり、そう思わないかも。

コミュニケーションとは?

黒澤

ただこういう話をしているとどうしても議論の軸が定まらずにふわふわとした空中戦になりがちなのは、そもそも「コミュニケーション」という言葉の定義がはっきりしてないことも大きい問題なんだと思うんですよね。

僕がさっき意地悪な質問って言ったのは、演劇界の中での「コミュニケーション」の定義がはっきりしてないのに「それがあると思うかどうか」っていう質問をするのが意地悪だなと思ったんです。(ごめんね。)

だから「コミュニケーション」についてちょっと考えたらいいのかなって思うんだけど、

弥生ちゃんにとって「コミュニケーション」っていう言葉はどんなことを意味してますか?

中谷

あらためて聞かれると難しいですね…。コネクトとか、繋がりだとかっていうものが元にはなってると思うんですけれども。ほぼ「そんな感じ」っていうふんわりとした意味で使っちゃっていました。

一人ではない、自分とだれかとの間に生まれるもののことを総称してコミュニケーションってざっくりと捉えていたような気がします。

黒澤

そうなんですよね。だからコミュニケーションっていうものが意味することも人によって違うことも多いのかなって思います。なんとなく「誰かと関わる」みたいなことを意味することも多いと思うし、「コミュニケーション教育」って一般に広く発信した時に何を教育するのか、何を向上させるのか、その時に向上させるコミュニケーション能力というのはそもそも何を指しているのだろうか、っていう状態になっちゃうんだろうなって思ってるんですよね。

一般にコミュニケーション能力があるとか、コミュニケーションがうまくいってるっていう状況は何を指すのかっていうことを僕なりに観察した時に、「比較的波風少なく人間関係をやり過ごせる能力」みたいなことがコミュニケーション能力って言われてるようなこともあるなーって思ったりするんですね、ニュースとかインターネットとかを見ていて。

でもその「波風立てずに過ごす力」みたいなものは全然コミュニケーション能力じゃなくね?って僕は思っているんです。

僕にとって「コミュニケーション」っていうのは自分の持っている主張と、相手の持っている主張をお互いにしっかりと受け止めあって、たとえ対立していても粘り強く継続していくっていう行為のことなんですよ。

だから「波風を立てずにうまくやれる」というよりも、どちらかというと「ちゃんと対立しても大丈夫な関係を作る」ということになるのかなって思うんですね。

波風を立てても関係を継続させる

黒澤

これを

サンフォード・マイズナー・テクニック

サンフォード・マイズナーさんというアメリカ人が考えた、演技のやり方のこと。マイズナーテクニックやマイズナーって訳されたりするよね。名前が演技のやり方になるのすごいね。「クロサワではさー」て言ってるのと一緒だもんね。さて話を戻すと、演技の先生で有名なスタニスラフスキーさんというロシア人がアメリカに来たときに、リー・ストラスバーグさんとかと一緒に学んだマイズナーさんは、そこで得た経験に基づいて、自分の演技のやり方を伝え始めたそうです。マイズナーさんは1997年に天国に旅立ちました。ご冥福をお祈りいたします。

という演劇の手法の話に引き寄せますけど、マイズナー・テクニックって演技というものを四つの言葉で説明していて、それは「リアクション(反応)」「フィーリング(感じること)」「アクション(行動)」「コミュニケーション(関係する)」という四つなんですよね。

「コミュニケーション(関係する)」について、じゃあどう関係するのかという時に一般に波風立たなくていいんじゃない?という話になる時も多いけど実はそれは逆で、しっかりと波風を立てても関係を継続させられる、っていうのがコミュニケーションかなと思っていて。

マイズナー・テクニック的には、例えば僕と弥生ちゃんがマイズナー・テクニックの訓練をしていて、僕が弥生ちゃんにめちゃくちゃ怒った、という時にその怒りをちゃんと相手に伝えるというのがコミュニケーションのスタートになるんですよね。

それで弥生ちゃんがそれで傷ついた、悲しい、その悲しみを僕に伝えるっていう事をすることがコミュニケーションだっていう風にマイズナー・テクニックでは言われている。このサイクルが回っていること、お互いのエネルギー(感情)を減らすことなく相手に渡し合う、伝え合うっていうことがコミュニケーションであるとマイズナー・テクニック上では言われている。

とはいえ一般にコミュニケーションっていう言葉を定義する時に、そうやって「感情を全部伝えることがコミニケーションだ!」っていうのは若干俳優訓練に偏りすぎているとも思います。それが必要な時もありますが、常にそうしなければいけないということではない。

中谷

「コップの水を空にする」でも仰っていたように、全ての感情を全て素直にその場で道端で出していると生きづらいよね、っていうようなことですかね?

黒澤

そうですし、ざっくり言うとTPOですよね。それをやるべき時と、やるべきでない時があると思います。わりと親しい個人間ではそうしたコミュニケーションを行った方がいいことも多いと思うんですよね。しっかりとお互いに感情を伝え合って、それを赦し合うということが大事だと思うんです。

ただ国家の代表とかがそれをすると戦争になるんでダメですよね(笑)。外交の場面とかそういう時には表で言っていることと裏でやっていることが違うというくらいでちょうどいいんだと思うんです。そういう風に世界はできているから。

だからすべては時間と場所と関係によって適切な行動って変わってくるんですけどそれは置いておいて、コミュニケーションという言葉はお互いがちゃんと主張し合った上でそれが許容しあえる関係だと思うんです。

たとえばですけど、難しい課題があるとしますよね。今新型コロナウイルスが流行していて、ワクチンというのができたときにこれをどういう順番で接種しましょう?みたいな時に、「まずは流行している場所から行った方がいいんじゃないか」とか「高齢者から接種したほうがいいんじゃないか」とか「医療従事者から接種したほうがいいんじゃないか」といろんな議論が出ますよね。

ちょうどいま(2021年5月上旬)「アスリートを優先して接種させるべき」「それは法の下の平等にもとるんじゃないか」とか、そういうことも議論されるわけなんですけど。

その時に「まあまあ、そんな対立しなくていいじゃん」「なるようになるよ」というような態度はコミュニケーション能力が高いとは言わずに、そこで「僕はかくかくしかじかでこの様に思います。それはこれこれこういう理由によります。」「なるほどあなたはそう考えるんですね。私とあなたは異なる立場です。」ということを認めながら対話を深めていくのがコミュニケーションなんだと思います。

我慢はコミュニケーションではない

黒澤

相手の意見が自分と違う時に、やっぱりどうしても感情的になっちゃったり、人は自分と違う意見を持っている人を見ると「バカだ」って思いがちなんですけど、落ち着いて考えれば単に自分と意見が違うだけで、相手も考えているんだって理解できるはずです。

そういう意味でのコミュニケーション能力向上のためなら、演劇は役に立つんじゃないかなって思ってます。

なぜならば演劇というのは考え方がちがうみんなで集まってあーでもないこーでもない、「なんだよアイツはわかってねえな!」ってガチャガチャ言い合いながらも、ひとつのお芝居を最後まで全部つくるっていう事をやっていく行為だから。

結構そういう創作の現場に慣れてる人たちが多いかなとは思っているし、ちゃんとその力を使っていくことを意識できると、コミュニケーションということに対して達者な人としていろんなところで認められるんじゃないかなーって、個人的には思ってるんですけどね。

中谷

コミュニケーションがどういうものなのかっていう定義と、それが達者であるとはどういうことなのかというお話が出たんですけれども、本日のテーマに上がっている「仲良くすることはコミュニケーションではない」ということに関しては、別にこれは演劇をやっているいないに関わらず、普通に生きている人間として波風を立てずに生きることだけがよいコミュニケーションとは言い切れないよね、っていうようなニュアンスで仰ってるってことですか?

黒澤

おっしゃる通りですね。

仲良くしてもいいんですよ、もちろん!もちろん仲良くしていいんだけど、人間が二人いたら絶対争うものだから。どっかで揉めるんだからね、そんなに聖人君子ばかりではないから。

永遠に仲良くするってことは僕は不可能だと思うし、不健康だと思うんですよ。仲が良い時期もあれば、仲良くない時期もあるっていう方が健全じゃないかなって思うんです。

だからもし一つ補助線を足すのであれば、自分が何かを我慢しながら仲良くしているような関係はコミュニケーションではないっていう言い方ができるかもしれないですね。

中谷

なかなかでも、「自分が我慢してる」って思いながら生きている人の方が大半だと思うんですけど…。

黒澤

いやぁ、そうですよね。

中谷

どうしたらいいですか、それ、むずかしくないですか?

黒澤

難しいと思いますよ。信頼し合える二者関係とかすごく仲の良い友達とか、愛情があるって確認できる家族であれば、やはりお互いが感じている事はお互いに主張できたほうがいいし、それが主張できないっていうのはかなりストレスのかかる関係になりやすいと思います。

ただほとんどの人間関係でそんなに「フルオープンに殴り合う」みたいなことはしなくてもいいとも思ってますよ。

例えばいちいち会社の同僚とそんな関係を律儀に結ぶ必要もないかなとは思ってます。

ただ、その関係をとれる人が多い方が人生は楽だと思いますね。

中谷

うーん、理想としてはとってもよくわかるんです…。そういう人ばかりが周りにいたら生きやすいだろうなっていうのは分かるんですけれども。

たとえば今日の話のなかの例題でワクチンの話が出て、これはすごくセンシティブな問題だと思うんですが、どうすることが正解なのかは特にわからない。けれどもともかく優先順位を決めてどんどん進めなければいけない問題にぶち当たった時に、正しい答えがなくて意見や主張がたくさん噴出した時には、何から手を付けていけばいいんですか…?

黒澤

知らねえよ!(笑)わかんねえよ、そんなの……(笑)。だから大変だよね、人間とか社会って。

中谷

大変ですねぇ…。そっか世莉さんでもわからないことはあるんだ…。

リスクを前にしたコミュニケーション

黒澤

ただおそらくなんですけど、やっぱり不完全なシステムとはいえ民主主義が一番妥当だとは思うので、その時に最も理性的な判断を下せる人が権力を持っているはずなので、その権力っていうものがそれを判断していくしかないし、それがすべての人を満足させるって事はないと思います。

そういう時に必要になってくる権力側にあるものが「リスクコミュニケーション」というものなんです。「リスコミ」って呼ばれるものですね。

中谷

なんですか、それは?

黒澤

危機的な状況で、その状況についてちゃんと説明をして、市民から理解を得ていくことですかね、リスクコミュニケーション。

中谷

デメリットを隠してメリットだけを強調して物事を進めて失敗してしまう、というのではなくて、最初から「こういうデメリットがあるのを承知してるけれども、こういうメリットの方がとても強いと判断したので進めます」とかそういうことをきちんと説明することがリスクコミュニケーション、ですか?

黒澤

説明しないことも時としてコミュニケーションなると思いますけどね。ただ、例えば相手の質問とかに対してしっかり律儀に答えて行く、みたいなことも含めてどういう作戦でコミュニケーションしていくか、ですけども。

リスク時のコミュニケーションということについて、たとえば台湾とかニュージーランドとかはそれがすごくうまくいっていて、本邦ですとちょっとそこに課題が大きいんじゃないかなって僕は思っているので、是非コミュニケーションの専門家たる演劇人から行政の皆さんに「仲良くすることはコミュニケーションじゃないんですよ」とか、「波風立てないようにすることはコミュニケーションじゃないんですよ」と伝えていきたいところですね。

中谷

なかなか時間はかかりそうですけれども。学校なんかで私たちの世代だとまだ「みんな仲良く」という風に習いながら、そうした雰囲気を感じながら育ってきたのだと思うので。

今日のお話で仲良くすることだけが良いことではない、もちろんいいことでもあるんだけど、仲良くしなくてもきちんとコミュニケーションをとることは可能であるし、そうして相手とよい関係をつくることももちろん可能であるということを知れたのが、とてもよかったかなと思います。

黒澤

そうですね、小学校のクラスとかですっげえ嫌な奴がいたら無理やり関わる必要ないんですよ、お互い。一切関わらないように生きるっていうのも、僕はコミュニケーションのスタイルだと思いますけどね。

中谷

関わらないっていうのは、それは無視するとかいないものとして扱うということではなく?

黒澤

無視はだめー。学級会の時には多数決に入れたりとか、同じ班になったり一緒に行動したりするだろうけど、すごく合わない人と無理してまで関わらなくていいじゃん、ということ。人間、そこで無理するからおかしくなるんです。

中谷

そういう教育が浸透するまでにはまだ時間がかかりそうですね。私たち一人一人が、率先して「ちゃんと関わる。でも無理をしない」みたいなコミュニケーションを心がけて生活して…時間はかかるかもしれないけれどそういう大人が増えれば、子どもも自然とそういう風になっていくのかな。

みんなが生きやすい社会にしたいですね。

黒澤世莉(くろさわせり)

旅する演出家。2016年までの時間堂主宰。スタニスラフスキーとサンフォードマイズナーを学び、演出家、脚本家、ファシリテーターとして日本全国で活動。公共劇場や国際プロジェクトとの共同制作など外部演出・台本提供も多数あり。「俳優の魅力を活かすシンプルかつ奥深い演劇」を標榜し、俳優と観客の間に生まれ、瞬間瞬間移ろうものを濃密に描き出す。俳優指導者としても新国立劇場演劇研修所、円演劇研究所、ENBUゼミ、芸能事務所などで活動。

黒澤世莉

中谷弥生(なかたにやよい)

栄養にうるさい健康志向俳優。小学生からお爺さん役まで幅広いキャラクターを演じる。音楽劇、ミュージカル、ストレートプレイで活動。黒澤演出作品は『森の別の場所』『ゾーヤペーリツのアパート』などに出演。近年は経験を活かしコミュニケーションWS講師、歌唱指導も行う。やよラボ主宰。

中谷弥生