黒澤世莉のよく言うこと

「頭」は最寄駅の
コインロッカーに
叩き込んできて

《登場人物》
黒澤世莉

旅する演出家

中谷弥生

聞くひと

頭ばかり使ってしまう!

中谷

世莉さん!頭ばっかり使っちゃうんですよ、私。

すぐ考えるしすぐ悩むし「どうしよう」「こうかな?」ってずっと自分の脳味噌の中でぐちゃぐちゃ考えがちなんですけど、世莉さんと稽古をしていると、稽古の冒頭で「頭は王子駅(ないし稽古場の最寄り駅)のコインロッカーに叩き込んできてください!」ってよく言われたんですね。

稽古の最中にもあんまりぐちゃぐちゃっとなると「そうだそうだ、頭は最寄り駅のコインロッカーに叩き込むんだった」と思うこともあるんですが、この「頭を最寄り駅のコインロッカーに叩き込んでこい」というのは、ざっくり言うといったいどのようなメッセージなんでしたっけ?

黒澤

今の弥生さんの「お芝居をやっていると、考えすぎちゃってぐちゃぐちゃになっちゃう!」っていうのは共感をされやすいんじゃないかなって思うんですけど、どうですかねぇ、読んでる皆さんは。

中谷

共感して頂けるかしら?

黒澤

僕はよく俳優さんからそうした意見を伺うなって、思っていますね。

まず前提からお話ししたほうがいいかなって思うので、ちょっと遠回りをしますよ。

中谷

はい。

黒澤

頭を使うこと自体は素敵なことだと思うんですよ。何も考えないで、毎回裸一貫でお芝居をするっていうのはさすがにちょっとノープランすぎるから危ないんじゃないかなっていう風には思っていて(笑)。

考えることを否定したいわけではないっていうことを、まず最初にお伝えしたいかなと思います。頭もすごく大事。

頭・からだ・感情

黒澤

俳優っていうものは頭(論理的に考えること)と、からだ(身体的な要素)と、感情(いわゆる怒ったり泣いたりする、物理的現象ではないけれどもどうやら人間の内部で起こっていると思われること)っていう三つ、この頭・からだ・感情っていう三つの要素で出来てると思うんですね。

この三つをうまく活用していくと、良い俳優というものへ近づくんじゃないかなって思うので、先ほども言ったようにからだと感情と頭の三つがよくインテグレート(統合)されて循環している状態というのが、俳優としてうまくいっている状態なんじゃないかな、と思います。

中谷

なのに、「頭」は駅のコインロッカーにしまってこい、と?

黒澤

はい。「からだ」と「感情」のバランスが崩れていて、頭ばっかり使っちゃってる事が割と多いと思うんですよね。

中谷

ああー。

黒澤

それは例えばサッカーでもなんでもいいですけど、プレーするのはからだじゃないですか。だからといって頭を使わなくて良い訳じゃなくて、プレーしながら頭もフル回転していると思うんですよね。

じゃあ頭ばかりを使ってサッカーが上手くいくかというと、やっぱり上手くいかないはずなんです。スポーツだとそれがすぐわかる。なぜかというとスポーツはからだを使ったものだっていう前提があるからですよね。

だけど、なぜか演技となると「まず頭を使おう」という風に意識が行きやすいと思うんですよ。

中谷

ふむふむふむ。

黒澤

なので、その思い込みを一番最初に取っ払ったほうが早いと思うんですよね。頭を使うことからじゃなくて、自分のからだを使うこととか自分の感情というものにフォーカスするとか、そういうところから演技を始めていこうよということを、特にリハーサル(稽古)とかの最初の方では俳優さんたちに伝えることが多いですね。

忖度する頭

中谷

頭は、でも必要なんですよね?

黒澤

うん。

中谷

必要だけど、頭とからだと感情のバランスが大事なはずなのに頭ばっかりに寄りがちな俳優さんが多いから、「頭」をちょっと置いてきてっていうことを伝えるということですね?

黒澤

ここは突っ込んでいくと話す事が本当にたくさんあるので、より細かく話していきますね。

まずマイズナー・テクニックっていう演劇のやり方があるんですけど、

サンフォード・マイズナー・テクニック

サンフォード・マイズナーさんというアメリカ人が考えた、演技のやり方のこと。マイズナーテクニックやマイズナーって訳されたりするよね。名前が演技のやり方になるのすごいね。「クロサワではさー」て言ってるのと一緒だもんね。さて話を戻すと、演技の先生で有名なスタニスラフスキーさんというロシア人がアメリカに来たときに、リー・ストラスバーグさんとかと一緒に学んだマイズナーさんは、そこで得た経験に基づいて、自分の演技のやり方を伝え始めたそうです。マイズナーさんは1997年に天国に旅立ちました。ご冥福をお祈りいたします。

で一番最初にやる事って何かっていうと、「他人と関わる」っていうことなんですよね。

他人と関わるっていうことをやっていく時に、マイズナー・テクニックの基礎練習では本当に自分のからだと感情っていうことにフォーカスを絞る、という事をします。

そうする理由はいくつかありますが、わかりやすい例を出すと、頭を使って他人と関わろうとするとどうしてもいろんなことを忖度しちゃったりするんですよね。

中谷

忖度!!

黒澤

「こんなことを言ったら嫌われないかしら」とか「こんなことをしたら失礼じゃないかしら」とか「この人有名な人だけど大丈夫かしら」とか「こんなペーペーと演技するのやってられないな」とか、いろんなことを考えてしまうんですね、人間の頭っていうものは。

そんな頭の思考っていうのは他の言葉であるいは「雑念」ていう言葉でも表せると思うんですけど。

中谷

えぇ、えぇ。

黒澤

お芝居する時には必要ない余計なことが入ってしまうと。だって舞台上で俳優が人と関わるときに「この人は自分よりキャリアがあるから怖いな」とか「この人は駆け出しでヘタクソだな」ということって必要ないはずなんですよね、むしろ邪魔です。

そういものが入ると、純化した俳優同士のエネルギーの交換みたいなものが生まれにくくなってしまう。そうすると感情が振れない、とか、行動に繋がらないっていう風になってしまう。

マイズナー・テクニックの基礎のところをやるときには、とにかく「頭」は使わずにコインロッカーに叩き込んできて、自分の「からだ」と「感情」ってものにフォーカスするっていうことを伝えます。

そうすることによって相手に忖度したりせず、自分のからだに芽生えた純度の高いエネルギーーたとえばこの人すごい好きだなとか、こいつムカつくなとか、いろんな感情ーそういういろんなものが鮮やかに感じ取れる状態になりやすくなると。

お互いがそういう純度の高いエネルギーを持ちながら交感をできるようになると、自然とお互いのコンディションが変わっていくんですよね。

例えば「コップの水を空にする」のインタビューの時にも言いましたけど「怒り」っていうものを相手に渡したら、相手から「悲しみ」というものが返ってきてますます新鮮な怒りが入ってきたり、ある時には凄く怒られることによって逆に笑っちゃう時とかもあるじゃないですか。

例えばお父さんとかがガチ切れしてるところを見るとちょっとおもしろくなっちゃう時とかあるじゃないですか。「お父さん、こんなことで怒ってる…(笑)」「何笑ってるんだ!!!?」「いやいや笑ってない、笑ってない…」みたいなこともあると思うんですけれども。

人間ってあんまり余計なことを考えずに人と関わっていると、すごくいろんなことを感じ取ってる自分のからだとか感情というものに気づけるんですよね。

俳優はそれを意図的に鍛えていく必要があると僕は思っていて。やればやるほどそういうのってチャーミングになっていくし応用も効くようになっていくから

そうすることによって存在感自体がとても魅力のある俳優になる手がかりを掴んで行きます。

中谷

「『頭』は最寄り駅のコインロッカーに叩き込んできて」というのは、マイズナー・テクニックの手法で、特にその最初の段階でやるべきことなんですね。

黒澤

そうですね、はい。

頭は、しかし使う

中谷

……とはいえ、考えないって、難しいと思うんですけど…。

俳優トレーニングや、たとえばワークショップだったりエクササイズの途中で「頭を使わないで!」って言われることがあって、そういう時には「ああそうだった、頭は使っちゃいけないんだった」と思って切替ができるんです。

でも、自分で「今頭使ってるなあ!」というのは結構気づきにくいと思うんですよね。

それはどうしたら気づけるようになると思いますか?

黒澤

いい質問ですよね。これも読者の中にも共感する俳優さんがいっぱいいるんじゃないかと思うんですけども(笑)。気になりますよね。

使いますよ、頭は、ぶっちゃけ!

ぶっちゃけ頭を使わずにお芝居をするって無理だし、どうしてもいろいろ余計なことを考えてしまうってことはあると思います。

理想を言えばね、目の前の相手と空間を信頼してその場で起こることに一瞬一瞬反応していくっていうことを2時間続けて「はぁ、終わった!」っていう風にできると素晴らしいんだろうなって思うけど、なかなかそんな奇跡の瞬間というのは起こりにくいとは思う。

でもそういう奇跡みたいな舞台を目指していっぱいリハーサルをする。いっぱいリハーサルをするから、自分の体がもう台詞や段取りを覚えているし、相手役との信頼関係も築けているから、もう本当にあらゆることを手放して、舞台の上ですべて今日起ったことに新鮮に反応していくのだっていう風に思えて舞台が出来ればベストだけれども、そこまでたどり着くのは非常に困難だよね。

理想論としては今言ったこと、本当にしっかりと思考とか「今日はこうしよう」みたいなことを手放して自由な状態でやるということが理想だと僕は思っています。

段取りを無視するとか台詞を言わないという訳ではなくて、それらがすべてからだに入った状態で、という意味ですけれども。

その過程ですよね、本番まで行ったらある程度安心して手放せると思うんですけど、そこに行く過程はやっぱりすごい不安じゃないですか。

だってリハーサルではまだ「台詞も入ってるかわかんない」みたいなこととか、「この人からどんな演技が飛び出してくるかわかんない」とか「舞台美術が昨日変わったからしっくりこない」とか急に「ここで小道具持ってろ!」って言われて昨日まで持ってなかったフライパンとお玉を持って出なければいけない、とか。そういうことがあると、とってもいろんなことを考えがちだと思うんですよね。

「頭を使わないで」って僕が言う時に、一番シンプルにその俳優さんにとって課題になってることって、思考が入ることによって相手との関わりが薄くなったり遅くなったりしていることなんですよね。

役と役とでダイレクトにやり取りをするというよりも、一旦頭を経由して、少しラグがあってそれが台詞として出てきているような感じというか。

相手とエネルギーを交感できている状況というよりは、相手からもらったエネルギーを一回自分の頭で思考して返すみたいなことになってしまう。

中谷

余計な一工程が間に挟まっちゃっているということですね?

黒澤

そうですね。そうすると秒としてはコンマ何秒なんですけど、体感としてはすごく遅くなるし、なんか変なんですよね。チャーミングじゃなくなる。だから「なんか間違ってないけどつまんねーなー」みたいな感じがしてくる。

だからそういう時は頭を使うのやめてもらうと、「そうだ相手に集中するんだった」ということで俳優さんも自分の思考でどうこうするんじゃなくて、相手から来たものをダイレクトに返すということをする。これは反射じゃなくて反応なので。
(このあたりの詳しい説明はちょっと一回スッ飛ばしますけど…。)

そうするとそのやり取りの魅力が上がったりするんですよね。

中谷

もちろん頭は使わなきゃできないという前提のもとで、頭を使わないということは自分の思考よりも今その場にいる相手とのやり取りの方に集中するということなんですね?

黒澤

入り口としてはその理解でいいと思いますよ。ごく簡単に言ったら頭を使うのって全部できあがったあとか、稽古に入る前かでいいと思っています。

台本をどう読解するかとか、キャラクターをどう組み立てるかとか、この作品全体の主題が何で、私達はこの作品をもって社会とどう関わり合うのか、みたいなそういうところはもちろん頭を使った方がいいし頭を使うべきだと思いますけど、それって俳優として目の前の相手と関わる時にはほぼ必要ないんですよね。

そんなことはもう準備の段階で終えてきて、自分のからだに置いてくる。そのための準備がすべてですよ。俳優はクリエイションの前にそうしたことを済ませてくるので、いざリハーサルをしようと思ったら自分がそういう風にプランしてきたことを一回手放して、目の前の相手がプランして持ってきたものと生でセッションをするっていうことに対して時間を使った方がいい。

そういうことを演出家も俳優も合意している方が僕は稽古場としては健全かなって思っています。

それでも考えてしまうあなたに

黒澤

さっきの弥生ちゃんのそもそもの質問である「どうしても頭を使って考えちゃうんだけど、どうしたらいいですか?」ということに対して答えを出すと、やっぱり考えてしまうという前提でやっていった方がいいと思います。

もう「私はどうせ考えるわ!」って思って、うまくいってねえなって思った時に、僕が一番おすすめするのは、一回相手との関係とかも切っちゃっていいから、自分で呼吸に集中するということ。呼吸が何より一番大事なんですよ。

呼吸ができてないと考えちゃう。考えちゃうと呼吸が止まる、っていう因果関係が人間のからだにはあるんですよ。なので、まず呼吸をする。

「呼吸をしたらなんかおかしくなっちゃう」という時に、おかしくなることを恐れない。リスクを取ってみる。呼吸をしないままダラダラやりとりをし続けるぐらいだったら、関係を一回切って、芝居が一回止まっちゃってもいい。リハーサルなんだから、と。

とにかくを呼吸するっていうことがおすすめですね。うまくいっていない時に深呼吸できると大分違うんじゃないかなと思います。

中谷

たとえば誰かと喧嘩をしている時に自分の気持ちが興奮してしまうと、うわー!っと頭でっかちになってしまって感情ダダ洩れみたいなことなっちゃうんですけれど。

そういう時に一回黙って、なんかすごい間は気まずいけど、呼吸を整えるとちょっと落ち着いた言葉が次に出せる、みたいな場面に日常で遭遇したことがある…という人は、一定数いらっしゃる気がしますね。同じようなことですか?

黒澤

同じようなことですね。もうちょっと言葉を足すと、呼吸をすることでもっと本当に自分の深い所に辿り着くみたいなことが言えると思うんですよね。

例えば相手とやり取りして「キィーー!!」ってなってたけど、一回呼吸してみたら怒っていたというよりはあれは悲しかったなーって思う、とか。

あとみんなで居酒屋でハハハって笑ってたけど、なんで笑っているんだろうと思って一回呼吸してみたら、楽しくて笑っているというよりは「俺、こんな仲間がいて本当にありがたいなぁ」みたいな感謝の気持ちだった、とか。

そうして一回呼吸をしてみたら単に「なんか今楽しい!」ということよりは、本当はもうちょっと深いところには違う感情があるんだということに気づく、みたいなことと一緒かな。

単に感情的にならずに冷静になるために頭を使うというニュアンスよりは、しっかりと自分のからだと呼吸とつながることによってより深い自分にたどり着く、深い自分のエネルギーを使えるようになるという理解をしてもらった方がいいかなと思います。

中谷

深い自分のエネルギーを使う……なんだか人生にも通じそう…!深いお話が出てきましたね…!

黒澤

なんでも人生に使えるかどうかは分かんないですけど、自分が何を感じているのか、自分の衝動とか欲求がわかっている方が生きやすいとは思いますよ。

我慢してもいいんですよ。でも、その我慢した感情をなかったことにしちゃうと、心身の健康にすごくよろしくないので…。

「本当はこの人にめちゃくちゃ怒ってるけど、TPOがよくないから怒らずに我慢する」みたいなこととか。そうして自分が実は怒りっぱなしでいることに気づかずにいると、自分で自分の体を固めてしまって良くないので。

そういうことには気付けるようなった方が、生きてるのも少し楽になるかなと思います。

中谷

はい。今回の黒澤世莉のよく言うこと「『頭』は最寄駅のコインロッカーに叩き込んできて」はマイズナー・テクニックから来ているということで、今回のインタビューは「コップの水を空にする」とか「死守せよ、だが軽やかに手放せ」の記事にかなり通じるところがあるなあと思いました。

黒澤

そうですね!

黒澤世莉(くろさわせり)

旅する演出家。2016年までの時間堂主宰。スタニスラフスキーとサンフォードマイズナーを学び、演出家、脚本家、ファシリテーターとして日本全国で活動。公共劇場や国際プロジェクトとの共同制作など外部演出・台本提供も多数あり。「俳優の魅力を活かすシンプルかつ奥深い演劇」を標榜し、俳優と観客の間に生まれ、瞬間瞬間移ろうものを濃密に描き出す。俳優指導者としても新国立劇場演劇研修所、円演劇研究所、ENBUゼミ、芸能事務所などで活動。

黒澤世莉

中谷弥生(なかたにやよい)

栄養にうるさい健康志向俳優。小学生からお爺さん役まで幅広いキャラクターを演じる。音楽劇、ミュージカル、ストレートプレイで活動。黒澤演出作品は『森の別の場所』『ゾーヤペーリツのアパート』などに出演。近年は経験を活かしコミュニケーションWS講師、歌唱指導も行う。やよラボ主宰。

中谷弥生