黒澤世莉のよく言うこと

いい準備を
してください

《登場人物》
黒澤世莉

旅する演出家

松本一歩

聞くひと

作品のクオリティはいつ決まる?

松本

世莉さんは演劇を作るにあたって「いい準備をしてください」とよくおっしゃいますよね。演劇を作る上では色々な準備があると思うのですが、世莉さんが想定される「いい準備」とは、ずばりどのようなものでしょうか?

黒澤

簡単だよね、「準備して」って言ったらみんなが考えてやってくれるから。うまくいかなかったら「準備が違う」って言えばいいし(笑)

という冗談は置いておいて。例えばチェーホフの『三人姉妹』を上演する時に、そのクオリティはどこで決まるか、という話だと思うんです。松本さんは作品のクオリティはどこで決まると思いますか?

松本

あぁぁ…僕は、台本の良し悪しから始まって、稽古中のお互いのコミュニケーションの精度がクオリティを左右する、のではないかと思っています。

黒澤

本当に、おっしゃる通りだと思います。

僕の中で重要なマイルストーンを置くところは、稽古初日だと思うんです。稽古初日に集まった戯曲・スタッフ・俳優・演出家で、作品のクオリティは決まっていると思うんです。

それは「だから頑張らなくて良い」ということではなく、このメンバーで作品を作るなら最高到達点はここかな、という場所が決まっている。

戯曲の読解が追いついていない、段取りを覚えるのが遅いとか、例えば作家がいたならその作家が戯曲を書いてこない、とか。稽古がうまく進まないことがあると、最初に集まった時の理想点より下がっちゃう。

言い換えると、演出家の作業とは「チームの力を最大化すること」だと思っています。これは、日々の稽古が理想的に進んだ時の結果から、いかに減衰を減らすか、だと思っていて。実は宮田慶子先輩の言葉をパクっているんですけどね(笑)

旅する演出家・黒澤世莉のいいところは、良い戯曲があり良い俳優がいた時に、この二つをかけ合わせた時の盛り上がりをできるだけ大きくできることです。

稽古期間中にできることには限界がある

松本

なるほど。では、チームの力を最大化させる、という目標に向かっての「いい準備」とは、どのように考えれば良いでしょうか?

黒澤

僕たちが日々できることは限られていて、1日は24時間しかないし、そのうち8時間は寝たいし、ご飯はゆっくり食べたいしお風呂も入りたい。それらすべてを含めて「準備」だと思うんです。

俳優として、演出家としてのポテンシャル・潜在能力・どこまでその公演で力を発揮できるか…というのは稽古の初日までにどう生きてきたか、みたいなことになると思うんです。
稽古初日から公演まで約1ヶ月の頑張りって、どなたでもされることだと思うし、そこってそんなに変化はないかと思ってます。もちろんそこでも、頑張る人と頑張らない人の差は出ますけどね。

でも、極言してしまえば「公演のための準備」とは、作品づくりのために集まった時までに、俳優として・スタッフとして・演出家として、どうやって己の研鑽をしてきたか、ということ。

そして、稽古期間中の一日一日、稽古で疲れている時に疲労をきちんと取ってこられるか、食事管理ができるか、仲間とコミュニケーションを取れるか(単に仲良くする、のではなくシーンについての話し合いがきちんとできるか)だと思うんです。稽古の時にはちゃんと呼吸ができるか、自分の感覚を研ぎ澄ますことができるか、とかもね。

「準備」って自分でできると思うんです。

でも、結果はあまりコントロールできないですよね。だって相手役がどんなことしてくるかわからないし。ということは、結果を揃えようとすることは難しい。なので、良い結果を出すための準備、というものがきっとあって、その準備を一人一人が着実に頑張れると良いなと思っています。準備は再現性があるものだと思っているから。

松本

「いい準備」には、自分の人生・生活の全てが含まれるのですね。そして、結果が芳しくないときは準備を変えてみようと。

黒澤

そう。

結果を変えたければ準備を変える

黒澤

呼吸を整えて、演出のフィードバックを聞いて、どういう風に行動するか、PDCA(Plan Do Check Actionのこと)を回すか。これが「いい準備をしてください」の一番小さい捉え方です。

例えば、考えすぎちゃってシンプルに相手とやり取りできなかった、ていう振り返りがあったとする。その解決策は気合を入れることではなく、準備を変えることをおすすめします。
シーンの入るギリギリまで台本読んでいたのがいけなかったかもしれないから、次は呼吸に集中してシーンに入ろう、とか、体を動かし足りないから考えすぎちゃうかもしれないので、休憩中にひとっ走りしてこよう、とか。

それが上手くいくかいかないかはやってみないと分からないけど、うまくいったことは続ければいいし、うまくいかなかったことは変えればいい。考え方はシンプルだと思います。

松本

例えば演出家としての世莉さんは、いろんな戯曲・土地で作品を上演しますよね。それならば、あらかじめどんな作品を上演しようかと考えておくのも「準備」なのでしょうか?

黒澤

そうですね、様々な戯曲を読んで上演したいものを探しておくのも、演出家の準備のうちの一つだと思います。

準備をすることって、自分のプランを固めてめていくことと繋がりやすいと思ってて、僕は演出のプランを固めていない方が良いと思っています。

ピーター・ブルック

イギリス人の演出家、フランス在住ブッフデュノール劇場で現役でバリバリやってる先輩です。わたしもたくさん影響を受けました。「なにもない空間」「秘密はなにもない」などの著作が有名だし「The man who」など来日公演もたくさんありました。「演じるものがいてそれを見ている者がいる、そこに演劇が生まれる」(意訳)という演劇の定義が素敵で、私も長いことピーター先輩の考えを借用しておりました。長生きしてください。

先輩の言葉を借りると、俳優たちが自分の想像力を発揮してその場にいることの方が、演出家がプランを立てるより大事なこと…だと思っているんです。

なので、こと演出家にとって準備という言葉の難しさは「やってくれば良い」ということでもない、というところ。演出家が自分のプランを固めてそこに俳優を当て込む…これがあんまりにもぎちぎちしすぎると、あまり演劇の魅力が活きないのではないかと僕は思ってしまうんです。

でも、じゃあ徒手空拳でいいのかっていうと、そういうわけではもちろんない。考えてきたり計画を立てたり資料を調べるのは当たり前のことです。その上で、いかにそれらを手放すことができるか。演出家も試されてると思います。

俳優で例えると、台本を読み込んで読解してプランを決めてこのように発話する!…と決めてきてしまうと、いや、ちゃんと考えてて偉いなとは思うけれど(笑)相手役がだいぶ変化した時にあなたは何も変わりませんね、みたいなことになっちゃう。自分のプランを手放してでも、目の前の相手と関われる、自分の準備にこだわりすぎないのも、また大切なことだと思います。

松本

最後に、演出家・黒澤世莉さんにとっての「いい準備」を教えてください。

黒澤

みんなが伸び伸び遊べる場所をつくる。これが、僕にとっての「良い準備」であると思っています。

黒澤世莉(くろさわせり)

旅する演出家。2016年までの時間堂主宰。スタニスラフスキーとサンフォードマイズナーを学び、演出家、脚本家、ファシリテーターとして日本全国で活動。公共劇場や国際プロジェクトとの共同制作など外部演出・台本提供も多数あり。「俳優の魅力を活かすシンプルかつ奥深い演劇」を標榜し、俳優と観客の間に生まれ、瞬間瞬間移ろうものを濃密に描き出す。俳優指導者としても新国立劇場演劇研修所、円演劇研究所、ENBUゼミ、芸能事務所などで活動。

黒澤世莉

松本一歩(まつもとかずほ)

たたかう広背筋。時間堂最晩年の『ゾーヤ・ペーリツのアパート』(2016年)で制作助手、解散公演『ローザ』(2016年)にて時間堂劇団員ロングインタビューを務める。俳優、演出、劇団主宰(平泳ぎ本店/HiraoyogiCo.)。

松本一歩