コップの
水を空にする
旅する演出家
聞くひと
中谷
世莉さんのワークショップを受けると、感情がこう「わあっ!」」となった時に「出し切って!!そのコップの水は空ですかって!?」って言われることがあるんです。
黒澤
はい。
中谷
これについて世莉さんの言葉で説明して頂いてもいいですか?
黒澤
はい。
中谷
コップの水を空にする、とは?
黒澤
「コップの水を空にする」とは。
たとえば、怒りについて考えてみましょうか。普段の生活では怒りがあっても相手にそのままぶつけたりはしないですよね、基本的に。でも、俳優としてはですね、そこをノータイムで全部表現するみたいなことも必要になってきたりするわけです。
パイプをクリアに保つ理由
黒澤
たとえばその瞬間カッとなって相手を刺し殺す、みたいなこと。歌舞伎の台本だと本当にいっぱいあるんですけど(笑)。特に理由はないけどすぐ殺す、「え、今そこで殺しちゃうの!?」「マジで!?」みたいな。
突発的な怒りがあって、それによって何か大変なことをしでかしてしまうっていうことも、役柄としては表現できる必要があるんですよね。
そしてそういう突発的な強いエネルギーをしっかり表現するためには、エネルギーを使い慣れてないといけないんですよ。
例えばすごく激しい怒りがあったとして、これを普段抑えていると、俳優として役を演じる時にもそれを表現する時にもそうした感情が…「ノッキング」って言うんですけど、うまく出てこなかったりするんですよね。
中谷
普段感情を抑えていると、演劇としてやろうとしてもできないことがある、っていうことですか?
黒澤
そうですね。なので俳優としては「怒り」「悲しみ」「喜び」という感情の種類に関わらず、非常に強いエネルギーを表現できるようにした方がいい。
よく僕の師匠の柚木佑美さんはパイプに例えるんですけど、「パイプが詰まってるとうまく出ない、出せない」と。だからそのパイプをしっかり掃除しないといけないということをよく言っているんですね。 パイプをしっかりクリアにすると、エネルギーもしっかり出せるようになる。
俳優というのはそういう強いエネルギーを扱う職能であると。
たとえば「すごい怒りを感じたからあいつ殴りました!」って言って、その相手役が骨折してたらそれは次の日に再現性が著しく落ちてしまうので、お芝居としてはよろしくない。
観客の心を震わせるような強いエネルギーを表現するけれども、でもしっかり分別を持った状態を作る。そういうことをするためには、やはり強い感情を表現し慣れている必要があるわけです。
そのために「コップの水を空にしましょう」っていうようなことを言って、その時俳優さんの中にあるもの(エネルギー、感情)は全部表現するという風にしてもらってるんですね。いちど空っぽにして出し切ってもらうことで、強いエネルギーを表現しやすくなる、ていうのが第一の効能です。
中谷
なるほど。
感じること、移ろうこと
中谷
世莉さんのワークショップでは、
という、その場その時に相手との間に生まれたものに素直に反応していくっていう練習をしますよね。その中で、とはいえ私自身相手に自分のその時の気持ちが適切に出せなかったりだとか、出したとしてもその出す量が適切でなかったりすることがあります。
「一つの感情を口に出して言ってみたはいいけど全然不満」とか「何だか解消されなくてモヤモヤしたもの」があって、それを引きずったまま次につっこんでしまうようなことがあると、すごく気持ち悪くなるんです。
これが「コップの水を空にできなかった…」っていうことですかね?
黒澤
そうね。さっき僕は「強いエネルギーを表現する」という話をしたけど、今の弥生ちゃんの話だと激怒とかみたいな大きい感情じゃなくても、自分の中にうまれた「ちょっと嬉しい」みたいなことも、的確に表現できないとなんか気持ちが悪くなってしまうという話ですよね。
中谷
そうです!
黒澤
これが演劇と俳優の面白いところで、他人と関わるといろんなことを感じるわけですよ。それはちょっと近づかれて嬉しいな、とか、逆に近づかれて怖いな、っていう時もあれば、相手に笑ってもらって嬉しいとか、相手が笑ってるのが気持ち悪いとか。色々と感じ方が変わる訳じゃないですか。
そしてその感じたことっていうのは常に移ろっていくんですよね。川の流れみたいに一定じゃないと。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」というように、もちろん常に一定になってるように見えることはあるんだけれども、それはそのように見えてるだけで内面としては相手との関係の中でくるくるくるくる変わっているはずなんですよ。
私たちの体って、その瞬間のエネルギーしか保持できないんですよね。3秒前のエネルギーも持てないし、3秒後のエネルギーも持てない。「今ここにあるもの」しか表現できないっていう風になってるんですよ。まあ当たり前のことなんですけどね。
「さっき辛かったんだよ」みたいなことを言ってもそれは過去の話になってしまうし、「これから幸せになるんだよ」と言っても今幸せじゃないのに幸せを表現することはできないし、そもそも先の事なんて予測できないしね。
使いこなすためには、まず出しきること
黒澤
シンプルに自分のエネルギーを相手に表現する。それを「コップの水を空にする」って表現するのはつまり「自分の体に生まれたエネルギーを余すことなく相手に渡す」っていうことです。
それが可能になると何が起きるかって言うと、これが二つ目の効能なんですけど、自分のコップの水を空にできると、自然と新しいエネルギーが入ってくるんですよね。
例えばを台本をやっていて、あるセリフまでは怒ってると。でも相手のこの台詞を聞いたら急に笑い出す、というシーンがあるとします。ただ戯曲を読んだだけだとちょっと頭でっかちになっちゃうから、こう「ここまでは怒って、怒って、怒って、この台詞を聞いたら笑うぞ」という風に意識したりするんだけど、それがうまくいくかって話ですよ(笑)。
中谷
難しいですね、非常に。
黒澤
表面だけつくったお芝居になって、自分も周りも「ああ、うん、まあそんな感じだよね…」みたいなことになったりする(笑)。
ところが、これがしっかり相手との関わりの中でコップの水を空にして怒ったとします。そうして相手のリアクションがあって、また何かが返ってきた時に、なんかすごくおもしろい気持ちになる、ということが起こりえるんですよね。
中谷
なるほど…?
黒澤
なので「コップの水を空にする」の効用の二つ目っていうのは、頭で考えたプランを体に落とし込んで、 いろんなことを考えなくても戯曲通りに沿って段取りを踏んでいけば、自然と戯曲どおりのやり取りが発生する。しかも嘘のない状態で、っていうようなことができるようになるんだよね。
中谷
……やっ、わかりますよ、わかってるんですけど…ちょっと自分の頭を整理しながら話しますね。
世莉さん、これも又よくおっしゃってますけど、「頭は王子駅のコインロッカーに叩き込んできて」っていう。
頭で考えずにもうその時その時の事を表現して、きちんと適切に感情を出して行けば都度都度コップが空になって、空になるからまた新しいものが自然と注がれ、湧いてくるということになる。
けれども、まあなかなかその一回一回を空にできないからみんな頭でっかちになっちゃうし、苦しむ。え…頭使わないとか無理じゃないですか!?
黒澤
中谷
そうですよねぇ…。いままで何度も聞いてた筈なのに、やっぱりできてない時も多かったなぁって、反省しきりでございます。
黒澤
野球でもなんでもそうだと思うんですけどね、ピッチャーをやるんだったら一球もバットに当てられずに全部三振取れればそれが一番いいんですけど、そういうのは人生の中でもそうそうないことで。
でもそれを目指して、できるだけいいパフォーマンスを心がけて、アベレージを上げていくというのが大切なんじゃないですかね。
感情はため込みすぎず、少しずつでも出していく
中谷
あと普段の生活の中で、自分が感じたことをいちいち全て表現していくとなるとなかなか他者と生きるのは大変なのでもちろんできないとは思うんですけれども。
とはいえ現代の人達ってやっぱり溜め込みすぎだなーって思う点はすごくあって。
ぜんぶ毎回「ムカついた!!」とか「すごい嬉しい!!!」「悲しい!!」とかって、道ばたでやってたらすごく大変だと思うんです。
でもどこかのタイミングで「コップの水を空にする」というのを定期的にできると、もう少し人として生きやすくなる…?だって本能がコップの水を満たしているわけですもんね。ちゃんと空にしないと、どんどんどんどんコップが溢れて溢れて大変なことになっちゃうんだろうなって思いました!
黒澤
(笑)。ふたつ最後に言うと、日常生活では開けちゃいけない感情の引き出しっていうのがあるので、開け閉めが大事だと。稽古場では開けていても、普段は閉める。
でも閉めていると言う事が自分で分かっていれば、ご褒美もあげやすいじゃないですか。「ああ、今日はよく我慢したな」っていう時にはビールを飲むとかアイスを食べるとか、自分にご褒美をあげられるようになるといいよ、ということがひとつ。
もう一つは、自由気ままに声を出せる所はあったりしますよね。たとえば河原の鉄橋の下で電車が通っているときとか、カラオケボックスとか、思う存分声を出したり暴れたりすることができるところはあるので、そういうところで自分の中に溜まっているものを「わーーーーっ!!!」って大声を出すだけでも少しすっきりするよ。
そういう時間を取ってあげることは自分の体のためにはとてもいいかなって思ったりします。