100年後の
演劇
旅する演出家
聞くひと
愛されて26年
中谷
世莉さんは今おいくつでしたっけ?
黒澤
僕は今44歳ですよ。
中谷
演劇を始めたのは何歳の頃ですか?
黒澤
18歳とか、ですかね。
中谷
ということは、演劇を続けて…
黒澤
26年ですか。
中谷
四半世紀を超えましたね!!
黒澤
ほんとだね。
中谷
人生の中でも演劇をやっていない時間よりも演劇をやっている時間の方が長いんですね。
黒澤
本当だね、大変ですね。
中谷
そんな世莉さんに伺いたいんですけれども、ずばり100年後、今が2021年ですので2121年、演劇はどうなってると思いますか?
黒澤
……(熟考)。
中谷
演劇は残っていると思いますか?
黒澤
残ってるは残ってると思いますよ、だって5000年前からずっとなくなってない(出典「演劇の世界」開文社)からねぇ。
中谷
神事や祭りとしてではなく、いわゆる”商業的な演劇”みたいな今のスタイルも残ってると思いますか?
黒澤
これから先の未来でもリアルなイベントの価値っていうのは上がるんじゃないかなって思っていて。
例えば動画っていう形かどうかわからないけど、何かデータとして記録されたものを再現するっていうこと自体の技術は上がると思うのね。それがもはや脳にプラグを埋め込んでそれを再生する、みたいなことになるのかもしれないし、どういう形になるのかはわからないけど、でもそれはそれとして、ライブエンターテイメントっていうもの自体は逆に価値が上がるんじゃないかなと。
データで見られる物っていうものはすごくコストが下がっていくと思うんだよね。今のラジオとかテレビみたいな感じになっていくと思っていて。
自分の体を動かして時間をかけて移動して観るっていうものは物凄い贅沢品になってるんじゃないかなっていう風に思ってる。けど、なくなりゃしないと思うんですよね。
ただ、今と同じような商業的な演劇という形として残っているかどうかはちょっとわからないなーって思いますね。
今から100年前だと、1921年で大正10年ですよね。大正時代のその頃の演劇っていうとまあ結構今と同じぐらいの環境にはなっていて、西洋的な劇場ができて照明が焚かれて生音楽の演奏がある中でレビューをしたりすると。
でも上演自体は今よりもずっと長くて、歌舞伎や狂言みたいに一日中やっている、という観方だったりもした訳ですね。
商業演劇といえば歌舞伎を指していて、西洋演劇ではいわゆる職業俳優みたいなものは今よりも少なくて、壮士芝居とか文士芝居みたいな素人がやってるようなものも多かった。まぁそれと今の小劇場がどう違うのか、という区分けの話にもなるとは思うんですけれどね。
何が言いたいのかっていうと、100年前と今とでは社会の中での演劇の立ち位置や立場は違うということです。
それよりも前だと江戸時代で、お芝居といえば歌舞伎を指していた時代があって、それはそれですごく街中での歌舞伎は盛り上がったし、京都南座とか江戸三座、浪花五座とか言われてすごく沢山の芝居小屋があったりもしたと。
でも当時の歌舞伎と今の歌舞伎は違うし、演劇としての感覚も違うと思うんですよね。
つまり演劇自体は時代ごとにずっと残っているんだけど、演劇の形自体はわりと何百年かの間で変わっちゃってるから、100年後にも今と同じ形で残ってるかって言われると「残ってないかなぁ」って思ったりするんですよね。
判断基準としての100年後
黒澤
ただ「100年後の演劇を考えること」自体はすごく大事なことかなって思っていて。
「100年後の演劇がどうなっていると思うか」ということについて即答できなかったのは、僕にとって「100年後の演劇」というのは今の自分が何を選択するかっていうことを考える時の概念だからなんですよね。
中谷
今の自分が何をするかということを、今の世莉さん自身が選ぶ時の概念?
黒澤
その指標、ですね。
中谷
「100年後の演劇」を意識しながら、世莉さんは何かをチョイスするっていうことですか。
黒澤
迷った時は。
たとえば
という、いろんな作家さんの戯曲が500本無料で読めるウエブサイトをつくりましょうという話をする時に、個人としては公開しない方がいいっていう場合もあると思うんですよね。本が売れなくなっちゃうかもしれないとか、お金を出して買ってもらえるものを無料で提供して何かよくないことがあったらどうしよう、とかっていうことも考えうると思うんです。だから個人にとっては公開しない方が良い場合もあると思うんですけど、ちょっと視点を変えて100年後の演劇がどうなっていたら盛り上がるかなっていうことを考えてみるとします。
おそらくは今、たくさんの戯曲、それも品質の高いものが無料でダウンロードできて、自由に読めるような状態になっている方が100年後の演劇にとってはいいんじゃないかな、みたいなことを思うわけですよね。
もちろん細かいロジックがついてきた方がいいと思うんですけど、ひとまず100年後の演劇のためにはデジタルアーカイブみたいなものがあった方が良いよな、と思えた時に「それやった方がいいんじゃないですか?」って僕は判断するわけです。
中谷
今不安だったり怖かったり、っていうリスクやデメリットが実際にあるかもしれないけれども、それよりも100年後の演劇界のためになることであればやった方がいいと、迷った時にはそういう判断をすることが多いということですね。
黒澤
そうですね。自分の利益になることだったら(100年後の演劇界の不利益になることでも)簡単に決断してしまいそうになりますけど…。
たとえば「自分の利益になるけど、これをすることによって100年後の演劇にすごく悪いことが起こるぞ」とか、多額の賄賂を貰って「他の演劇人を悪く言うようなことをしろ!」ということが起きた時に「これをすることによって僕は一千万円を手に入れられて嬉しい。けど、100年後の演劇にとってはよくないかもしれない」って思えば断れる、みたいなことです。
迷いがなくなると思うんですよね。どうしても僕は利己的なので自分が得することをやりたいって思っちゃいますし、そっちに流れやすいんです。
でももう一個指標として「100年後の演劇のためになるかどうか」ってことを考えられると、例えば自分が誰と関わっている時にどう話そうかとか、演劇の業界の中で何か活動をする時にどういう方向で物を見たらいいのかということを考える時役に立つなって思います。
中谷
なるほど。
今よりもいい未来を
黒澤
いま「100年後の演劇」がどうなっているかということについて具体的に聞かれた時に全然わからないって思ったのも新たな発見でしたね(笑)。
中谷
100年後の演劇がどうなっているかを具体的に予想するということは誰にとっても難しいかと思うんですけれども、世莉さんは100年後の演劇界とか、演劇にまつわるいろんなことがどういう風になっているといいなと想像しますか?
黒澤
今よりも演劇を見たりやったりする人が増えててくれるといいかなーって思います。街の人の10%ぐらいが演劇に興味・関心があるという風になってくれるとすごい素敵だなー。
劇場の中で生きている人間が生きている人間とエネルギーの交換をしているっていう事や、そうしたダイナミックなものを見られる空間だということは変わらないと思うんです。
それは今の演劇でも昔の演劇でも変わらない普遍的な部分で、そういうものは100年後も変わらず観られたらいいんじゃないのかなと思います。おそらく生身の人間が本気で怒ったり悲しんだり喜んだりしているのを観るっていうのは人間の本能的な歓びにつながってるんじゃないかなって思うから。
あとは今よりも100年後の方が演劇人が演劇をしやすくなっているといいなって思いますね。
河原乞食よばわりされるのではなく、もうちょっと社会の構成員として認識され承認され、そして価値を認めてもらってリスペクトされてるといいなって思うので、そのために今できることはなるべく頑張ろうかなって思っています。
中谷
演劇をしたり認知したりしてくれる人口を増やすことと、演劇をする人が社会の中でもう少し生きやすくなるといいなという世莉さんが100年後の演劇に望むことを二つ挙げてくださいましたが、世莉さんご自身の寿命が尽きて亡くなるまでにあと50年ぐらいあると思うんですよ。
そうすると今まで生きてきた人生とほぼ同じぐらいの時間をこれから生きられると思うんですけど。世莉さんがあと50年で個人的にやりたいこととか、あるいは特に100年後の演劇界のためにこうしたい!ということは何か決めていたりするんですか?
黒澤
「演劇デート計画2036」って言って、2036年にはそこら辺の中学生が
「ちょっとデート行こうよ!」
「どこ行く?」
「演劇観に行く!」
みたいな世界にすることが僕の野望の一つだということを、20年くらい前から言っているんですけれども。
個人的にはやりたい戯曲がいっぱいあって、上演してから死にたいのでリストアップしてます。
中谷
やはり多くの作品を生み出してそれを遺していくということが一つ演劇界へのリアルな貢献にもつながるのかなとお話を伺っていて思いました。どうします、年に一本コンスタントに上演していってもあと50本ですよ、世莉さん。
黒澤
うん。本当にそうだよね…。100年後の演劇ということに対して自分自身はどう取り組んでいこうか今まさに悩んで考えているところで、考えていることはいくつかあるけどあまり固まってなかったりします。
未来へ向けて、黒澤世莉
黒澤
上演を目的としない劇団でもやろうか、みたいなことも考えているんですけど、それは話として矛盾してしまうしな、と思って…。
中谷
演劇を観たり、もしくは自分がやったりする人が人口の10%ぐらいに増えるといいなという目標のためには、公演を目的としない劇団というコンセプトも収入(採算)っていう概念から離れれば成り立つし、世莉さんの希望する世界への一歩にも繋がるのかなって思いますけどね。
黒澤
俺にとって、自分の作品を発表するということについては社会のためになろうということをまったく考えてないんだよね。
それが結果的に社会のためになってもいいけど、根本的には「俺が演劇やりたいからやるんだ!」「うるせえ!」「しらねえ!」「社会貢献なんかしねえ!」みたいな気持ちがあります。
中谷
演劇界をよりよくしていくことを考えた時に、社会貢献や社会の役に立つことももちろんある程度は求められると思いますし、そうして社会に応答していきたいと考えているアーティストの方たちも多くいらっしゃると思います。
ただ世莉さんも「そんなに強く演劇を握りしめなくてもいい」でも話していらっしゃいましたけど、ものごと役に立つだけがすべてじゃないですからね。役に立たない物事がきちんと存在できることの方が社会にとっては健全だと私も個人的には思います。
どんな仕事でもそうですが、「演劇とはこういうものだ!」という一面的なものではないじゃないですか。
人は多面的であるし、仕事や物事全てにいろいろな側面がある。その側面の一つとして、社会貢献とは全く関わりのないモチベーションを抱いて創作に臨んだとしても、良いのではないかと。お話を伺いながら感じました。
黒澤
いろいろとお話したように基本的には演劇にとっての大義や、100年後の演劇のことを考えて日々の選択の指針とすることもありますが、自分が公演をする時にはそんなこと一切考えません。やりたいことをやるだけです。アーティストなんで。ハハッ!みたいな。
だからみんなもアーティストとしては何でも自分の好きなことを勝手にやればいいんじゃないですか。100年後の演劇のこともあまり考えないで。好きなことしなよ!
中谷
一人一人がそのようにやっていくことが結果的に100年後の演劇につながるんじゃないか、ということですね。