黒澤世莉のよく言うこと

そんなに強く、
演劇を握り
しめなくてもいい

《登場人物》
黒澤世莉

旅する演出家

松本一歩

聞くひと

演劇がんばらないとだめじゃない?

松本

かつて世莉さんが残した言葉の中に「そんなに強く、演劇を握りしめなくてもいい」と言うフレーズがあります。

時間堂

黒澤世莉が1997年から2016年までやってた劇団。新作オリジナルから古典翻訳者まで、幅広い演目をすべて黒澤世莉の演出で上演したよ。1800円で演劇見るキャンペーンしたり、十色庵ていうスタジオつくったり、札幌から福岡まで全国ツアーで回ったり、レパートリーシアターをやったり、ソシオという支援組織をつくったり、その節はいろんなかたにお世話になりました。「40歳になっても恥ずかしくない劇団名にしよう」て思いでつけた名前でしたが、40歳になったときに解散しちゃった。ギリギリセーフと言うべきかアウトと言うべきか。

解散時のインタビューだったでしょうか。劇団の解散と重なって、その言葉は否応なくエモーショナルに感じられました。

一方で、いま、世莉さんと演劇との関係が面白いなと思っていて。

時を経てコロナ禍というものに世界がぶち当たり、舞台芸術が軒並み苦しい状況に置かれて、「演劇を手放したくない」「演劇は必要である」と言う声を上げざるを得ない状況になってしまいました。

そんな中、先日(オフィシャルの場ではなかったけれど)世莉さんは「演劇とはしかし、これまでの演劇だけが演劇ではなく、今置かれている社会状況の中でこれからももっと進化していく可能性がある」とおっしゃっていました。

このように、世莉さんの演劇への見方・演劇との関係の取り方が「不思議だな、力が抜けているな」と感じることがあります。まさに演劇を握りしめていない、演劇に委ねている、というスタンス。

いま改めて、ご自身で「そんなに強く、演劇を握りしめなくてもいい」と言う言葉について、どう考えていらっしゃいますか?

黒澤

すごく、熱量がある質問をありがとうございます。「演劇はこれからアップデートされていく」とか言ったっけ、ってなってますけど(笑)

僕はいま、

演劇緊急支援プロジェクト

2020年に新型コロナウイルス感染症が流行した際、当時の政府の方針で「自粛を要請するけど、補償はしませんよ、なんとかしてね★」みたいな方針にみんなギャー!マジか!となりました。緊急事態宣言が出て、劇場や稽古場が閉まったりしてね。公演中止になってそれまでの経費で大赤字になったり、予定されていたギャランティーがもらえなかったりね。そういう困った事態に直面して、なかなかまとまらないことが多い演劇関係の団体が「みんなで知恵を寄せ集めて、政府や行政に働きかけよう、この難局を乗り切ろう」って生まれたのがこのプロジェクト。黒澤世莉もちょいちょい活動のお手伝いをしております。これ2021年7月に書いてるんだけど、一年以上活動してると、だんだん緊急支援って感じじゃなくなってきたよね。
https://www.engekikinkyushien.info/

weneedculture

2020年に新型コロナウイルス感染症が流行した際、当時の政府の方針で「自粛を要請するけど、補償はしませんよ、なんとかしてね★」みたいな方針にみんなギャー!マジか!となりました。演劇だけじゃなくて文化芸術ジャンルの多くの人が困りました。そんなわけで、みんなで知恵を寄せ合って協力しよう、政治や行政を動かそう、ていう動きがweneedcultureです。映画、音楽、ダンス、美術に演劇を加えた5ジャンルの団体で構成されているよ。黒澤世莉もこまごまお手伝いして省庁要請とかやってます。
https://weneedculture.org/

など、演劇・映画・音楽・美術の集まっている団体で「文化は必要だよ」「演劇もサポートしてほしい」と言った意見を行政に提言したりsnsで発信したりしていますけれど。

なくてもいいじゃん、演劇とか。ていうか、なくならないって(笑)って、心のどこかで思っているところがあって(各団体の意見ではなく、個人のものです)。

演劇というジャンルやその営み自体は無くならないと思っている、でもそれにまつわる職業の人たちが路頭に迷う事例が起きているので、どうにかしたいとは思っている。とはいえ、そうした社会運動というものは一筋縄ではないし、簡単に割り切れるものでもない、という前提でざっくばらんに喋っているけれどね。

演劇が必要だ、という論理の中に「演劇は社会の役に立つから必要だ」とか「演劇が教育の中にあることで子供の役立つ」と言った意見はあるけれど、これも若干、同意できない部分があって。だって、もともと僕はそんな高尚な気持ちで演劇を始めた訳ではなく「楽しいから演劇をやっている」という自分がいるから。

演劇は芸術であるけれど、社会への毒・批判を呈する面も持ち合わせている。「演劇とは反体制なものでお上から禁じられるんだ」みたいなマインドも今までたくさんあったわけで。

社会の役に立つ演劇…の批判をしたいわけではないのだけれど、演劇が「役に立つから」だけになってしまうのであれば、そうじゃないじゃん!!みたいな、気持ちになちゃうし。全ての演劇が社会の役に立たなければいけない訳ではないよね、と思ってしまう。

多様でいいじゃないですか(笑)

役に立つ演劇もあれば、役に立たない演劇もある。

お金を使う演劇もあれば、そうじゃない演劇もある。

演劇は、どこから入っても良いし。どこへぬけ出ても良い。それが豊かだと思うし、演劇をしている人はみんな、演劇に愛されていると思って良い、と思うんですよ。

松本さんも、演劇に愛されているんじゃないですか?

あなたは演劇に愛されている

松本

いやぁ本当に…演劇に対しておおらか、ですよね。「そんなに強く、演劇を握りしめなくても良い」という言葉は、例えば、「時間堂という劇団に縛られなくてもいいよ」とか、必ずしも劇場でこれまで通りの(コロナ禍以前の)上演スタイルを貫かなくても良いのでは?という風に、いい意味で執着をされない雰囲気を僕は感じるんです。

これも、

サンフォード・マイズナー・テクニック

サンフォード・マイズナーさんというアメリカ人が考えた、演技のやり方のこと。マイズナーテクニックやマイズナーって訳されたりするよね。名前が演技のやり方になるのすごいね。「クロサワではさー」て言ってるのと一緒だもんね。さて話を戻すと、演技の先生で有名なスタニスラフスキーさんというロシア人がアメリカに来たときに、リー・ストラスバーグさんとかと一緒に学んだマイズナーさんは、そこで得た経験に基づいて、自分の演技のやり方を伝え始めたそうです。マイズナーさんは1997年に天国に旅立ちました。ご冥福をお祈りいたします。

に関連するマインドなのでしょうか?

黒澤

え、関係ないんじゃない?(笑)

松本

え!だって、別の回のインタビューでも(※「コップの水を空にする」記事リンク)おっしゃってましたけど、マイズナー・テクニックは演劇のみならず世莉さんという人間の人格に大きく関わっている感じがします。そうして時間堂をやめても今なお、演劇の近くにいらっしゃるじゃないですか!それが不思議なんです。

黒澤

いやいや、やめたのは劇団活動で、演劇活動ではないからね(笑)

劇団を解散することに不安がなかったわけではないですよ。「演出の仕事くるかな〜」とか「またこんなに良いメンバーを集められるかな」とか色々考えました。でも本質的には楽天家なんでしょうね、まぁ何とかなるか〜って思っちゃったし。

僕は「ものすごく求めて演劇をしている」というよりは「現実から全力で逃げたら、演劇が残った」みたいな感じだから。だからこそ「演劇は無くならないだろう」と思うし、なくなったらなくなったで、まぁいいいかって、ちょっと思っちゃう部分がある。

誰にとっても、思い詰めすぎるとよくないことの方が多いと思っていて。例えば演劇を辞める人の中には「もう演劇なんか二度とかかわらない」って思いながら去ってゆく人が一定数いるんだけど、これはすごく悲しい。そうなってしまう構造的な課題はきっとあって、それはそれで考えないといけない。けどそれは一旦脇に置くとして、単純な話、演劇と関わる人が減ってしまうことは業界全体の損失ですよね。
例えばもっと”スープの冷めない距離”にいてくれて、子供を育て終わったら戻ってくるとか。そういうのは、いいよね。俳優としても、観客としても。だって、みんな演劇に愛されているんだからさ。
マイズナーテクニック、関係ないんじゃないこれ?(笑)

松本

関係ないか、そうかぁ…(笑)。

最後に愛は勝つ

黒澤

マイズナー・テクニック のことに絡めて、ひょっとしたらここが関係しているかな〜と思ったところがあるとすれば。

マイズナー・テクニック を学んだことによって「自分とは何か」「自分はどんな生き物か」「どんな状態が自分にとって心地よく、どんな状態だと居心地が悪いのか」といったことには敏感になった、ことかな。自分という生き物との折り合いがつくようになったから、その中で自分の幸せを考えた時に「演劇、頑張るぞ!!」ってなるよりは「まぁ、なるようになるよね」ってマインドでいた方が、僕にとっては心地良いと気づけた。

そこは、マイズナー・テクニックがきっかけであった可能性は大いにあると思います。

松本

「自分という生き物との折り合いをつける」、ふむふむ。

黒澤

誰にとっても、いまの自分と理想の自分との距離には違いがあると思うのだけど、でも結局「夢中」には何も勝てないと感じていて。

例えばイチローさんや大谷翔平さんはすごい人だけれど、彼らはただの「野球馬鹿」だと思うんだよ。そうじゃなきゃあんなに努力できないじゃん(笑)。羽生結弦さん・藤井聡太さんなどもそうですけど、ああ言った、ある種のモンスターみたいな人たちは「楽しむモンスター」みたいなもので。ただただ、すごく好きなことを夢中でやっている、好きで好きでしょうがないから四六時中そのことについて考えちゃう…みたいな人に対しては、苦しみながら努力している人は一生敵わないと思うんです。

だったら、出来るだけそのジャンルを楽しみ・愛して、楽しく愛せる範囲で付き合った方が良いんじゃない?楽しく愛したら、きちんと還ってくるんじゃない?と思うんだよね。
もちろん、血反吐を吐くような努力をすることがあなたを助けることはあるけれど、それがあなた自身を幸せにするかどうか、僕にはわからないよってことです。

だから、自分が頑張れる時だけ頑張れば良いと思う。そうした方が、逆説的に人間は頑張れるんじゃないかと思う。
「イチローほどの努力をしろ」って、命令されてできる人はいないと思うんだよなぁ(笑)

誰にとっても、演劇はそんなに強く握りしめなくても良いものだし、お互いに愛し合える距離でいてもいいし、一回別れてもいいし。人間と違って、一回別れたら縁がない訳でもないしね。みんなもっと気楽に、演劇と付き合ったらいいんじゃないかな、と思います。

黒澤世莉(くろさわせり)

旅する演出家。2016年までの時間堂主宰。スタニスラフスキーとサンフォードマイズナーを学び、演出家、脚本家、ファシリテーターとして日本全国で活動。公共劇場や国際プロジェクトとの共同制作など外部演出・台本提供も多数あり。「俳優の魅力を活かすシンプルかつ奥深い演劇」を標榜し、俳優と観客の間に生まれ、瞬間瞬間移ろうものを濃密に描き出す。俳優指導者としても新国立劇場演劇研修所、円演劇研究所、ENBUゼミ、芸能事務所などで活動。

黒澤世莉

松本一歩(まつもとかずほ)

たたかう広背筋。時間堂最晩年の『ゾーヤ・ペーリツのアパート』(2016年)で制作助手、解散公演『ローザ』(2016年)にて時間堂劇団員ロングインタビューを務める。俳優、演出、劇団主宰(平泳ぎ本店/HiraoyogiCo.)。

松本一歩