すごい
ふつうの演劇、
ふつうの
すごい演劇
旅する演出家
聞くひと
サクッと見られる演劇やりたい!
中谷
世莉さんがよく使う言葉で、「すごいふつうの演劇、ふつうのすごい演劇」っていうのがありますね。私これは
(黒澤世莉が2016年まで19年間率いた劇団)のキャッチコピーかなと思っていたんですけれど…?黒澤
時間堂のキャッチコピー、でした!
中谷
なるほど、この言葉はどこからきたんですか?
黒澤
時間堂のキャッチコピー的なもので、その前に「深呼吸のできる演劇」っていう言葉を使っていたんです。
「深呼吸のできる演劇」って、あんまりピンとこないんじゃなかろうか、みたいなことを思ったんですね。
もともと僕の作りたい演劇の形として、60分とか90分でサクッと見れて、会社帰りにほっこりできればいいなと、日常の延長で生活に根ざした心温まるようなものが観られたらいいんじゃない?みたいに思っていた時期もありまして。
中谷
そういう時期「も」あったわけですね(笑)。
黒澤
『三人姉妹』に挑戦した2007-2008年あたりから、ですかね。王子小劇場で上演したんです。一年計画で俳優のワークショップから始めて、最終的に『三人姉妹』全編を上演するというようなプロジェクトで。
それが30歳ぐらいで上演したんですね。当時根拠なく、なんとなく「30代になればチェーホフだって上演できんだろ」と思っていたんですけど、やっぱり得体の知れないうちに得体の知れないものやっておくことがいいんじゃないか。やるなら早いほうがいい、限界を超えた挑戦をするぞ、という週刊少年ジャンプ的な発想で…。
中谷
なかなか挑戦的ですよね。
黒澤
その時の僕としては、なかなか良かったんですよね、ある感触として…。もちろん客観的に見た時に作品として至らない点も多々あったんだと思うんですけど、何かこう、ある、なんというのかな、「その後の自分の原型」みたいなものはかなり入っていたんじゃないかなって思っています。
その時のメンバーの中から、時間堂の劇団員5人に入ってもらって、俳優を入れた劇団化っていうのをやったっていうのが2007-2008年の『三人姉妹』だったんです。
これだとまだ、「すごいふつうの演劇」にうまく繋がらないんですけど…。
黒澤 goes mad
中谷
ちなみにその『三人姉妹』を上演していた頃っていうのは、例の「会社帰りに
ふらっと1時間くらい、ほっこりした気分で演劇を観てみたら?」っていう気持ちの時期ではないですよね?
黒澤
だから、その、終盤ですよね…!
中谷
なるほど、そうした心境の終盤に『三人姉妹』(3時間くらいあるチェーホフ)を30歳になったし、やっておこう、みたいな…?
黒澤
そうそうそう、だからそこから、狂ってくるわけですね、僕が。そこからちょっとおかしくなっていくんです。(?)
すこしずつ「長尺のお芝居がいいぞ!」ということになってくるんですね。なんというか、「演劇でしかみられないもの」ということを考え始めたんです。
動画配信とか、漫画とか映画でその「ほっこり」を満たしてくれるものって結構あるよなーって思って。演劇もほっこりなものが悪いなんて思わないんですけど、わざわざ30分かけて劇場へ観に行って、2時間拘束されてその上演に集中して帰る、ってすごく濃い体験だと思うんですよね。言い方を換えるとめんどくさいぞと。
中谷
劇場までの往復の時間と、手間もかかりますね。
黒澤
そうそう、着替えたりメイクしたりもあるしね。ということはその分濃い料理を出さなければならないのではないか、みたいなことを考え始めたんですね。フランス料理のコースへ足を運んだなら、それはガッツリフルコースを食おうぜ!みたいなことに僕の意識がシフトしていったんですね。劇場での体験ということを考えるにあたって…。
それまでのふんわり、ほっこりしたものを否定や批判したいわけではないし、そういうものも好きなのだけど、あえて自分が演劇を劇場で見せるのだったら、その人の住んでいる世界をひっくり返すようなことを体験してもらう方が素敵かな、と考えるようになっていきます。
で、「どうやって観ている人の世界をひっくり返すのよ?」て話しになるわけです。僕は俳優がその場で熱量高くいる、そしてそれが強靭な構造を持った戯曲の物語を推進していくものを見せることで、観客と想像力を共有して、観客の中の何かを揺さぶりたいということを思っています。
必殺の正拳突き
黒澤
それって、なんか「斬新な戯曲解釈をする」とか、「すごいイリュージョンを使って観客に未知の体験をしてもらう」みたいなこととは対極にあることですよね。
極端に言えば、何もない舞台に俳優がいて、俳優が物語を牽引していれば、人の心を感動させられるのではないかと思っている、ということです。少なくとも僕はそれで感動できる、という風に思っていて。
たとえば、空手の正拳突きをものすごくいっぱいやると、その正拳突きが必殺技になる、みたいな感覚です。だから、やりたい事って「ふつう」のことだよな、という風に思ってるんです。でも普通を突き詰めることによって、すごくなれる。そしてそのすごさっていうのは、観客の心を震わすような演劇体験を共有できるんじゃないかっていうこと、なんですよね。
中谷
「すごいふつうの演劇」っていうのは、正拳を打ち続けることなんですね、世莉さんにとって。
黒澤
そうですね、そして正拳を打ち続けるだけじゃなくて、それによって正拳突きが凄まじい破壊力を持つ、ということですね。
中谷
どうですか、これまでやってみて、その正拳突きがすさまじい破壊力をもてたなという実感はご自身の中でいかばかりでしょうか。
黒澤
(考えて)…モーメント、だと思うんですよね。 「このモーメントは素晴らしい!」っていうことあるけど、3時間ずっと凄まじい破壊力の正拳突きっていうことはなかなか難しいですよね。
中谷
確かに、見る方も演じる方も大変そうですよね。
黒澤
例えばスポーツなんかだと「ゾーンに入る」っていう言葉があるけど、俳優と観客が3時間ずっとゾーンに入れればいいんだろうな、とは思っていて。でも、そのためにはどうやったらいいんだろう、ということをずっと考えています。
だからやっていることはふつうなんだけど、そのふつうのことを積み重ねた先にすごい景色があるんじゃないかな、と思っている、というのが「すごいふつうの演劇、ふつうのすごい演劇」という言葉の根幹にあるコンセプトです。
中谷
時間堂という劇団は惜しまれながら2016年に幕引きとなりましたが、このコンセプトは今もなお世莉さんがつくる演劇作品の中に生きていますか?
黒澤
ことさら表に出すことはないかもしれませんが、「とにかくスタンダードをやり切るんだ!」「すきやばし次郎になるんだ!」みたいな、とにかく寿司だけを握るんだという気持ちはあまり変わらないですね。寿司だけ握っていれば、オバマ大統領だってやって来る。そういう気概で演劇をやっていきたいと思っています。
中谷
今後も黒澤さんの作る演劇には、この「すごいふつうの演劇、ふつうのすごい演劇」という言葉が根底に流れつづける、ということですね!