死守せよ、
だが軽やかに
手放せ
旅する演出家
聞くひと
どっちだよ!
中谷
世莉さんはよく「死守せよ、だが軽やかに手放せ」と仰ってますけれど、これは世莉さんの言葉ですか……?
黒澤
すごい、疑惑から入るのね。僕の言葉ではないと疑ってかかってるのかい、君は。
中谷
はい。誰の言葉でしたっけ?
黒澤
…君の疑いはまさに正鵠(せいこく)を射ているよ。
の言葉ですね。中谷
「死守せよ、だが軽やかに手放せ」。ともすると相反するような事を言ってるように聞こえますけれど、その真意を教えてください!(笑)
黒澤
何笑ってんですか、馬鹿にしてるんですか、ちょっと!
中谷
いやいやいや、「どっちだよ!」みたいな。はじめて聞いてからしばらくは耳慣れないというか、「どうすればいいんだよ!」っていうツッコミどころ満載のワードだなって、しばらく思ってたので(笑)。
黒澤
そうね…。関係ないけど、矛盾する、相反する言葉を二つ並べると強力なキャッチコピーになるらしいんで、マーケティングの時に使った方がいいらしいですよ。
中谷
(メモメモ。)
黒澤
えっと…、いろんな解釈ができる言葉ですよね。 僕はピーター・ブルック先輩がとても好きで、演劇の定義とかもずっとピーター・ブルック先輩の「舞台上を歩いている人がいて、それを見ている者がいれば演劇は成立する」っていう言葉に強い影響を受けて、そういうことが演劇なのだって思ってたりしたんですよね。
この言葉がすごく好きで、公演の前によく言ったりしていました。矛盾してるよね。
弥生ちゃんはこの言葉を最初はどういう気分で聞いてたの?
中谷
それこそ何を死守すんのかわかんないし、何を手放せばいいのかも分かんないし、それからその「死守するもの」と「手放すもの」が同じなのかどうかもわかんないし、なんだよって思ってました。
しかもこの言葉、世莉さんはよく本番の直前とかに使うので、「そんな繊細な時に訳分かんないこと言わないでほしい」って本当にいちばん最初は思いました。
黒澤
いいね、非難轟轟だね(笑)。
僕にとって「理想の演劇」みたいなものがあるんですけども。
俳優達がすべてその場で新鮮なエネルギーの交換をして、90分なり3時間なりを過ごしてくれると最高だなって思ってるんですよね。
(と、中谷キャッチボールのジェスチャーをする。)
反応するために手放す
黒澤
文字にはなってないけどもこういうね(身振り)、キャッチボールをするような動作をしてくれましたけれども。
でもその理想に近づくのはなかなか難しい。やっぱりセリフは予め暗記してしまっている物だし、どこでどう動くのか、どんな時にどんな衣裳を着て出るのかという段取りも決まっているし。
セリフに対して、「初めて聞いたわそんな話!」っていう反応をするんだけど、初めて聞いたどころか同じ言葉を昨日も一昨日も聞いている。そういうことをするんですよね、演劇っていうのは。
もちろん観客もそれを知っていて、目の前の人がジュリエットっていう役柄を演じている中谷弥生さんだということを知ってて見てる訳なんですよね。 彼女はイタリア人じゃないし、14歳でもないだろうっていうことも分かっている。
そういう中で相手と密度の濃いエネルギーの交換が行われるためには、
いろんなことを手放す必要があると思うんです。
その手放すっていうのは、例えば雑念であったり、例えば昨日の成功であったり、例えば相手役の俳優の許せないところみたいなことであったり、本当にいろんなことがあると思うんですね。
例えば今日の昼間家族と喧嘩をした、みたいなことかもしれませんし、来月お給料少ないけどどうしよう、とかかもしれないし、「やべえ今日出かける時にガスコンロ消してきたかな?」みたいなこともあるかもしれないし。
舞台の上に立つ俳優っていうものは、生きている人間だからたくさんの課題を抱えている。
そういうことを舞台上でできる限り手放していることが、その俳優の魅力を十分に引き出すことにつながって、かつそうすることで相手からのエネルギーをしっかりと受け止めてそれに反応して返すっていうことができるようになると思うんですよね。
…じゃあ何を死守しなきゃいけないんだろうね?
死守するもの
中谷
うーん、何ですかね、雑念は手放そうっていう気に今はなりましたけど…。
雑念じゃないものですね、死守するものは。
黒澤
雑念じゃないものって何だろうね?
中谷
何ですか…。でも昨日の感覚とかも死守しちゃいけないわけですよね、今のお話からいくと。
黒澤
手放した方がいいんじゃないですか。
中谷
ってなると、なんだろう…。稽古してきた積み重ねによる自信とか…?
黒澤
自信は手放さない方がよさそう(笑)。まぁ例えばセリフだよね、手放さない方がいいものって。
中谷
そんなトンチみたいなこと言わないでくださいよ!セリフは、それはそうだよ…。
黒澤
だからなるべく具体化することがいいんだと思いますよ。当然分かっているだろうっていう思い込みを、できるだけ減らしたほうがいいとは思っていて。
僕ももちろんそんなこと当たり前じゃないかっていう気持ちでいろんなことを話してしまうけど、自分の当たり前は相手の当たり前じゃないぞ、って反省することがあります。
人間同士が言葉を使ってコミュニケーションをするってこと、自分が発した言葉が弥生ちゃんの中でどういう風に解釈されるのかっていうのは、やっぱり分からないんだよね。わからないというか、そこは弥生ちゃんに委ねられている。
台詞を全部覚えているなんてことは当然だって、今弥生ちゃんは言ってくれたけど、そこまで手放しちゃう人もいるかもしれないよね、手放しきって(笑)。
中谷
います?そんな人(笑)。
黒澤
わかんない。わかんないけどでもいないとは限らないでしょ、やっぱり。
例えば「昨日のうまくいった感覚」みたいなものを死守したほうがいいと思ってる人もいると思うんだよね。でも僕の中では手放した方がいいと思ってます。
だから台詞とか段取り、どこでどう動くかとかー危ない場合もあるからね、動線や段取りを急に変えたりしたらースタッフさんがセットアップしてくれた音とか灯りとかそういうものとの信頼関係はしっかり守ったほうがいいと思うし。
でも、それ以外のこと、例えば相手からくるエネルギーが、昨日まで100とか120だったものが50になったっていう時に、やっぱその50に対して反応を返していかないと観てる方としては気持ち悪いわけですよね。
中谷
ふむふむ。
黒澤
観客ってすごく賢いから、必ずしも言語化はできないかもしれないけど、かならずそう感じているもので。
だから俳優ってすごくて、いろんなことを覚えて何回も繰り返しやってるんだけど、でもその瞬間に起きたことに対して反応して、その瞬間に生まれたものを「コップの水を空にするように」表現していくんだよね 。
そうすると、その日その瞬間に生まれたモーメントってものを観客と共有することができる。
中谷
なるほど、じゃあ死守するものは三つですね?台詞と、ミザンス(舞台上での決まった動き)と、あとスタッフワークとのコラボレーション。テクニカルの きっかけとか。
死守すべき具体的なものをあげましょうという話だったんですけど、じゃあこの三つだけしてあとは全部手放すということですか?
黒澤
そこは人それぞれだから、弥生さんにとってうまくいく考え方ならいいんだと思うよ。
中谷
いいのかなぁ…それって「今この人手放せてるなあ!」ってわかるんですか、観てる人には?
黒澤
手放せてるかどうかってことは分かんないけど、より「生き生きしてるなー!」って人は手放してる人だと思うよ。
中谷
手放せていなくて、ガチガチに守りきっちゃって、舞台上で「あ、昨日はこうだったなぁ」とか「今ちょっと明かりに入るの遅くなっちゃった」とかを考えていると、やっぱり生き生きとは見えないですよね…。
黒澤
それは言葉を変えると、「あいつ、台詞とか段取りとか全部合ってるような気がするけど何も面白くないな」みたいなことになりますね。
中谷
ああ、なんとなくそういうのは、自分でやったり見たり今までしてきたもので覚えはありますね。
あらかじめリスクを取っておく
黒澤
うん。だからやっぱり、いかにリスクを取った状態になれるかだと思うんですよね。まったくリスクがない状態っていうのって、見ててもハラハラしなくて。いかにリスクが高い状態で、かつアベレージを上げられるかという稽古が、良い稽古なんだろうなって思います。
中谷
今の「アベレージ」っていうのは、どういう意味あいですか?
黒澤
平均点を上げるためにはトップの得点を上げる必要があるんですけど、結局平均点ぐらいしか出せないんですよ、本番って。
この平均点というものを上げていくためには、なるたけ良いパフォーマンスをそれまでの稽古でしておいた方がいいっていうふうに思うんですよね。
「手放す」ということも、稽古中に「これはものすごく手放せて、すごく自由にやれたぞ!」みたいなことを何回かやって、公演でもそこまでできればベストだと思います。お客様が入ることでそういう風になれる場合もあるけど、まぁそこまで出来ないって事もある。やっぱり段取りを追っちゃったりとか、昨日のうまくいったことをなぞろうとしてやってしまう。
相手の出力が今日は50だったのに、昨日は100だったから自分が昨日それに対して出した「100」のエネルギーを今日も同じように出してしまう、ということがどうしてもあると。
でもアベレージさえ上げておけば、そこまで致命的にチャーミングさが失われてる風には見えない、みたいなことがあるから。
なのでもちろん手放してやることが前提だし、それは非常に大事だけれども、それを稽古からしっかりと繰り返してアベレージを上げておくってことがすごく大事なんじゃないかなと思います。
例えば「手放しすぎて台詞を忘れちゃう」みたいなことも、稽古でやっておけば本番でやらなくなるだろうしね。
中谷
こわい(笑)。
黒澤
ちゃんと稽古をするってことかな。
中谷
なるほど。本番だけじゃなくて稽古の中でもいろいろ試していく中で、「手放す」ということもどんどんチャレンジしていった方がいいっていうことですよね。いきなり本番じゃできないですもんね。
黒澤
もちろん稽古っていうのは試行錯誤するため、失敗をするためにある場なので、稽古の時からどれくらい手放していいのか、とか、どこは死守するんだ、みたいなことを、積み重ねていく。
とはいえ場所や空間が変わればまた感じ方が変わったりもします。舞台の前の方を使って客席に落ちるかもしれないって状況で言うセリフと、その舞台のセンターでなんの不安もなく言える台詞とではやっぱり意識の配分とかも変わってくると思うから。
なので一概に「これが手放すべきもので、これが死守すべきもの」っていう分け方もできないとも思いますよ。
中谷
何だか難しい気もしてきちゃいましたけれども……。
黒澤
話は単純で、全部捨てられれば最高。だけどそうするとお芝居にならないから、「ここはこのくらい持つ、ここはこんぐらい捨てる」っていう風に割合をその時その時で調整すると。
ただ、「まあ全部捨てた方がいい」みたいなことを信じてやる方がいいだろうなという気がします。
中谷
世莉さんは「この人は毎回全部手放せてるな!」って思う役者さんとかいますか?名前を出す必要はないんですけども、「人はそうなれるものなのだろうか」という素朴な疑問として。
黒澤
(沈思黙考ののち、)……うーん、いるよ。
中谷
いるんだ…!!ええ……。
黒澤
まあ程度の問題じゃん、それって。 多かれ少なかれみんな手放してると思うよ。
中谷
そうですね。人それぞれ、手放せるだけ手放しながらアベレージを上げて、いつか「毎回全部手放している人」のひとりにカウントしてもらえるよう、 精進します………。
黒澤
どうした、どうした??(笑)
中谷
「死守せよ、だが軽やかに手放せ」。これは演劇界だけじゃなくても応用できそうな言葉ですね。
黒澤
そそそそそうね、(と、唾を吹き出してしまう)うん。
中谷
と思ってるんですけど。
黒澤
応用できると思います、はい!
中谷
ありがとうございました!